NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2003
10,27
10:35
悟り遠く,今だ悪戦苦闘の日々
CATEGORY[未選択]
毎日普通に人とことばを交わしながら生活していると,うっかり勘違いしてしまう.自分の言っている情報や思いが相手に伝わっていると.
でも本当は自分の言う内容が100%伝わっているというのは,ほとんど幻想にすぎない.
竹内敏晴さんがよく言われることに「ことばには,情報伝達のためのことばと,情動を伝えるためのことばの2つがある」がある.
私たちは情報伝達のことばではあまり問題を感じない.もどかしくつらい思いをするのは,特に,思いを伝える場面においてだ.
私の場合,ことばが伝わらないとはっきりと意識させられるのは,たいてい子どもとの会話の中だ.私はことばで大事なことを伝えようとするし,子どもはそれを「支配」とか「押し付け」と感じてはねかえしてくる.話した後には,砂をかむような思いが残る.
多分両方に問題があるのだろう.私の姿勢や声に押し付けがましい一方的なものがあるからと,相手も自分に不都合なことは受け付けないという構えでガチガチになっているからじゃないかな.
そこには「そういう見方もあるのかぁ」というような柔軟なやり取りは生まれない.
私が一生懸命に投げかければ投げかけるほど,相手は,そのことばを跳ね返す.
ことばは相手の皮膚にすら届かない.
威嚇,脅威,支配としてではなく,伝えるためにはどうしたらいいんだろうか?―相手に寄り添う姿勢?具体的にはやわらかな声?柔らかなからだ?
ああ,どうして伝わらないんだろう――伝えるということは至難の技であるとはっきり意識する瞬間.疲労感と無力感におそわれ,コミュニケーション自体がいやになってしまう.
竹内さんに言わせれば「伝わらないのが当たり前」なのだろうが,ことばで伝えようとして悪戦苦闘し,挫折する日々が続いていく.
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2003
10,20
10:35
沁みる声
CATEGORY[未選択]
このところ,だんだん気になっていること.
買い物をしたとき,レジの女性の声がみんな同じに聞こえること.
「いらっしゃいませ」
「○○,○○・・・(商品の読み上げ)」
「△△円になります」
「△円からお預かりします」
「ありがとうございました」
「またどうぞお越しください」
商品が値段を刻まれる間,延々と,聞きたくなくても聞かされる定番のセリフ.
なぜか,その声は,若い人も中年の人も,高く,細く,いわゆる「のどで出しているような声」だ.
かわいらしく細い声が客にいい印象を与えるという調査結果みたいなものが出ているんだろうか?
だから,そういう声で対応するように訓練を受けているのだろうか?
うーん,でも私に限って言えば,この声は気持ちが悪い.
機械音みたいな声.テープを聞かされているような感じだもの.
自然とこちらも人間がレジを打っているのではなく,無機質なものが前にいるという感覚になってくる.
そんななか,思わずレジの人の顔を見た瞬間があった.
「○○円ですね」柔らかな声に顔をあげると,にこっと笑ったその人と目があった.
私のからだに沁みてくる,低く,落ち着いた,自然な声.
初めてレジでこんな声に出会った.なんだかほっとして店を後にした.
そして,思い出す.
私にとって,低く柔らかな,本当の声を持つ人のことを.
鳥山敏子さん.
彼女が静かに口を開く,その瞬間が好きだ.
彼女の声は,そのからだの奥から生み出され,私のからだへと入ってくる.
30数歳のときに,竹内レッスンを経験して「いったん自分を壊して,生まれ変わった」鳥山さん.再生したからだから出てくる声.すごく気持ちいい.
――私の声は,どう聞こえているのだろう.
息子にとっては,威嚇的,支配的な,耳障りな声なんだろうな.
「声」「からだ」「ことば」というものに意識が深まる秋・・・竹内レッスンが近い.
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2003
10,07
10:36
ぼく,がんばりました(補足)
CATEGORY[未選択]
友人のSさんが,ご自分のメールで,不思議日記の「ぼく,がんばりました」を紹介してくれました.
しかし,紹介文を読んで....ヤッバー! これではまるで「熱血教師物語」ではありませんか! これは恥ずかしい...と,教師は隠れたい気持ちになりました.
というのは,お読みになった方は分かるでしょうが,この教師,積極的に学生に関わっていたわけでもなく,ましてやSさんの紹介文にあるように「合格へと導いた」わけでもないのです.
この教師にとって,受験指導は本業ではなく「学生へのサービス」ですから,時間がとられるのはあんまりうれしくなかったんですね.
毎日毎日やって来る学生の強い思いに押されて,やむなく指導を続けたというのが本音.教師が導いたのではなく,学生が教師を引っ張っていったのです.
教師が言いたかったのは,ひとつには,人間は目標を持って本気でがんばれば,いつかは花を咲かせられるということ.
おそらくこの学生は,高校の時は自分の夢がそれほど明確ではなく,大学受験で苦渋を飲んだのでしょう.それがいったんやる気をだして主体的に学習を始めたら,成功したのですね.誰でもいつかは本気で自分をかける瞬間を持てるんだと思います.それを信じていれば,一度や二度の失敗は失敗ではないと思えます.
教師のいる短大には,国立大学受験に失敗した学生も多く来ます.教師は,英語の偏差値が高くないそれらの学生が,国立大学編入試験に次々に合格していくのを見てきました.東大,千葉大,神戸大,広大,岡大,愛媛大など,彼らが高校生の時には高嶺の花だった大学ばかりです.
そういったことから,教師は積極的に生きることをあきらめなければ,誰だって人生の春を呼び込めると確信しているのでしょう.
合格は,学生が本気を出したことの結果です.教師は何ほどの役にも立っていないのです.
もう一つ伝えたかったのは,最近の若い人は感情をあらわにしない,しらけている,とよく言われますが,その下にはやっぱり熱い情熱が脈打っているということです.教師の手を握って泣いた学生も,普段は,ぼやっとしていて悲しいんだか,うれしいんだかわからないような「最近の若い子」です.
多分,最近の子がしらっとしているのは,自分に自信がなくて,あるいは傷つくのを恐れて,目立つことを嫌うからでしょう.それを大人世代の感覚で,マイナス評価してしまうと,彼らの本当の姿は見えないかもしれません.
彼らにだって「意欲」はあるし「感動」はあるのです.それを教師は学生の涙で再確認したのでしょう.
数日後,別な男子学生が教師のところに「O大合格」を報告しに来た.この学生は優秀で,あまり手がかからなかった.
教師が「受かると思っていたから安心して見ていたよ.当然の結果だね」というと,日頃は冷静でポーカーフェイスの彼が珍しく目をむいて「そんなことありませんよ.不安で,不安で.受かったと知ったとき,ぼく思わず涙が出ました.泣けましたよ」
そう言ってすぐに顔をそむけた.目のふちが赤くなっているのを見られたくなかったらしい.
あれ,あれ,この学生も...熱いんだ.
そして,今日,教師のところに,別の女子学生が四国での受験を終えて,おみやげの「坊ちゃんパイ」を持ってやってきた.この学生も夏に,英語と面接の練習に来ていた.
「どうだった?」
「先生,思い切り自分を出して来ました.英語も自分を出し切りました.面接も自分をめいっぱい出してきました.できなかったけど,悔いはないです.だめだったら就職して,また来年受けます」
明るい笑顔だった.大きな声だった.心の底から「やりきったー!」という気持ちが出ていた.この学生も始めはおずおずと固い殻をかぶっていたのに,今では,感情をめいっぱい出している.
この教師は,しらけていると言われる「最近の若い子」も,一皮向けばウエットだし,熱いし,感情があふれているんだということも,言いたかったんですね.
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2003
10,03
10:36
ぼく,がんばりました 2
CATEGORY[未選択]
国立大学への編入試験に向けて,学生のがんばりは衰えることがなかった.彼は来る日も来る日もひたむきに英語ととりくみ,40日が過ぎた.
9月に入ると,次々に各大学の編入試験が始まった.この頃から学生は英語の勉強以外でも,教師の部屋を訪れるようになっていた.内心不安なんだろう.その不安を訴えようにも成績の悪い彼には所属学科のしきいが高いのかなあ,と教師はさすがに不憫になった.
またもや仕方なく,学生の不安に付き合うはめになった.
ただ,この教師は面接指導やカウンセリングの専門家ではない.
学生の不安を聞いて,アドバイスといったら「字をていねいに」ということと「リラックスすること」の2点だけ.
不安そうな顔に対して「これだけ勉強したんだから,大丈夫.自分でも1ヶ月前より早く訳せるようになったと感じるでしょ.確実に力はついてるから」(ほんとは教師も不安)
面接については「ぺらぺらとしゃべる人より,あなたみたいにトツトツと,必死に訴える方が,好感度が増すよ.実際あなたの気持ちは私によく伝わってくるもの.私が面接官ならそこを評価するわ」(何の根拠もない励ましなんだけど)
内申書が悪いことへのあせりには「内申書が悪いことは明白なんだから取り繕わないこと.自分は1年のときはこの分野に興味が見いだせなくて迷いがあったが次第に学問の奥深さに惹かれるようになった,今ではぜひもっともっと勉強していきたいと思っているって,そこんとこを熱意を込めて語るのよ.あなたの意気込みが伝わったとき,1年での成績が悪いことはむしろ説得力を増すための好材料になるから」(詭弁だなあ)
O大受験のときは,「建物に入る前にはシコ踏んで足元確認して」と言い,北陸地方のN大の前は,「イカの刺身と温泉を楽しんで来て」,四国のT大のときは,「電車の中で単語帳なんか見んでもええ.瀬戸内海をずーっと見とくんよ」,学生の郷里のH大のときは「家に帰ってかーちゃんの膝でのんびりしておいで」と,わけのわからんアドバイスをした.
まあそんないい加減なアドバイスでも他に頼る人のいない学生にとっては何かの役には立ったのかもしれない.ひきつった顔をしてやってきても,帰るときにはゆるんでぽっと明るくなっていたから.
でも正直に言うと,教師はこういったことを心から喜んでしていたわけではない.時間がとられて自分の仕事が思うように進まない.内心学生がもう来なければいいのにと思うこともあった.
だから,地元のH大がまず受かったと知って親に連絡するより前に教師のところにとんできて泣いている学生を見て,教師は恥ずかしくて仕方なかった.
学生はまだ手を離そうとしない.
「あれだけ毎日毎日がんばっていたんだから.ほんまにようがんばったもんね」と言うと,その日々を思い出したのか,収まりかけていた涙がまた噴き出した.
「ぼっ,ぼく,夏休み,ほんとにがんばりました.うっ,うっ・・・」
廊下の真ん中であたりはばからず泣く学生に,教師は新鮮な感動を覚えたのだった.
あきらめずにがんばれば(それが強制されたものでなく,本人が強く願うものならば)必ずいつか花は開く.花を開かせる力を,みんなそれぞれ持っているのだ.
ところで・・・考えてみれば,20歳の男の子にこんなに長い間手を握りしめられたのは,ン十年ぶりじゃないかな,と教師はふと気づく.
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2003
09,28
10:37
ぼく,がんばりました 1
CATEGORY[未選択]
例年になく仕事に終われた夏休みも終わって,同僚と立ち話をしていた英語教師,廊下の向こうに一人の男子学生の姿を見て,思わず身を隠したくなる.
ヤバッ,また来た――
実はこの学生,教師にとって,この夏の負担増の一因だった.
やれやれ,しょうがない,また付き合うか・・・と観念して,教師は学生の方を向いた.
ところが驚いたことに,学生は顔を紅潮させて「せんせ・・い.手,手・・を」と言う.
「???」
何気なく手を差し出すと,学生は教師の手をしっかり握りしめて
「う・・・受かり・・ま・・した.うっ,うっ,受かり・・」と声を詰まらせた.
あっけにとられている教師の手を,学生はさらに強く握りしめ,
「H大の発表が今さっきあって・・・僕,合格してました.2人しか受からなかったのに,僕の番号がありました.せっ,先生のおかげです.うっ,うっ・・・」
あとは教師の手を握ったまま,言葉にならず,大きな体を曲げて号泣した.
片方の手で,泣きじゃくる学生の背中をなでながら,教師は春からのことを思った.
3回生(3年制なので最終学年)のこの学生が教師の部屋を訪ねてきたのは数ヶ月前のこと.4年制国立大学への編入を希望しているということだった.この学生の専攻分野では,編入は,英語,小論文,面接,内申書で決まる.要するにペーパーテストは英語だけ.毎年ほかの学科の学生に試験対策をサービスしていたので,まあついでだからいいか,と教師は軽い気持ちで引き受けた.
ところがそのあとすぐ後悔することになる.
念のため専攻学科の担当教員にその学生のことを尋ねてみると・・・
「ああ,T君ね.ありゃあ,だめですよ.国立大学進学なんて・・・.それ以前の問題です.学科内での成績はビリから数えた方が早いし,1年生のときの生活態度は悪いし,よく遅刻してますよ.はっきり言って僕はサジ投げてます」
「えっ?じゃあ内申書は期待できないってこと? でも,せめて推薦書はいいように書いてあげるんでしょ」
「いえ,僕は本当のことしか書きません.おせじにもほめられませんから.先生も大変ですねえ.あんな学生に頼られて」
「・・・」
学科の先生がサジ投げて学科外の教師に押し付けるの~? 1回生のとき1コマ担当しただけだったのでよくわからないが,まじめそうに見えていたのに.うわー,内申は期待できないとなると,英語,よっぽどいい点とらないと望み薄じゃん.
教師は重荷を背負った気がしたが,反面,そんな子ならすぐにあきらめるんじゃないかと,教育者らしからぬ淡い期待をもった.
とりあえず,過去の編入試験問題を渡しておいた.そしてそのあと1ヶ月その学生のことはすっかり忘れていた.
ところが,前期試験が終わって,夏休みに入った頃,学生はびっしり訳した紙をもってやってきた.
うへっ?なに,これ?
書き方から教えないといけない状態.段落替え,句読点・・・.おまけにものすごい悪筆・・・最悪だあああ!
その日から教師にとって「たいへんな日々」が始まった.
すぐにあきらめるんじゃないかという予想に反して,彼は与えられた課題を毎日毎日訳してきた.教師がストックしていた過去問はあっという間になくなり,あわてて問題を作ったり,取り寄せたりしなければならないはめになった.
学生はこれでもかこれでもかとやって来る.
雨の日も風の日も台風の日でさえ大学の図書館に来て一日中,英語の問題に取り組んでいる.彼の実力からいって長文読解1問に1時間は充分かかる.彼が机にかじりついている姿を見ない日はなかった.
学生のがんばる姿は教育者の喜びとしなければならないのだが,教師はしんどくなってきた.1日休むとドアのポケットに答案用紙が詰まっているから,夏休みというのに休めない.課外で教えても「余分なサービス」なので,教師にとってはなんの得にもならない.それに,こんなにがんばっているのに,もし受からなかったらと思うと気が重くなってきたのだ.
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