NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2002
06,06
10:01
「クソオヤジ」のメール
CATEGORY[未選択]
近頃、夫がよく息子の携帯電話にメールを送っているらしい。
内容は他愛もないこと。
「ドイツは強いなあ、しかし、次のアイルランドには通用するかな?」とか「いいゲームだった。○○のミスパスが痛かったけどな」とか、今は、ワールドカップの試合結果が主な話題とか。
息子は、「おやじ、おっかしいいなあ。急にわけわかんねえメールを寄越しだしたぞ」といぶかっている。
夫が、不器用に携帯のボタンを押している姿が目に浮かぶ。
夫のメール打ちには、理由がある。
実は、安心安心と構えていた私が、高校入学以来の息子の成績について、さすがに不安を感じ出して、夫にいろいろ訴えていたのだ(自分ながら、情けないことだ)。
夫は、上の子のときは、成績が少しでも下がったら、「人生終わり」のような反応を私や子どもに返していた。成績はいいのが当たり前、トップクラスにいないのはその子が悪い、ひたすら努力せよ――厳しく責め立てていた。
そんな夫だから、「不安」を口にすると、息子にカツを入れてくれるのではないかと、無意識のうちに期待していたのだと思う。
あるいは、頭ごなしに決め付け、押し付ける夫の反応を見ることによって、そのおかしさに気づき、逆に、自分のこころを諌めようと思ったのかもしれない。
ところが、夫は、私が不安材料を口にしても「あいつにはあいつの生き方がある。懸命にやっているんだから、追い詰めるな。できないところを責めて、あいつのあいつらしい良いところをつぶしてはいけない」などと、私をたしなめた。ええっ? ずいぶん違うじゃない!
そして、せっせと、夫は息子にメールを送り出した。他愛もない文面の奥には「がんばれ」というメッセージがこめられているのだと思う。息子のことを愛し、信頼している気持ちが、私には痛いほど、わかる。
第一子の思春期から10年間、ほんとうにいろんなことがあって、私たち夫婦には、貴重な学びのときが続いた。でも、夫は「頑固で物分りが悪くて自己中心的な自分」を、かなり長い間通していた。私の方が、柔軟で、学びが速いと、思っていた。
でも、今思えば、夫の暴言は、ある意味、とっても、分かりやすい反応だった。
むしろ、心の奥では、いらだちとか不安が、確かにあるのに、子どものこころを大切に、と奇麗事を言っていた私の方が、偽モノだったのかもしれない。
このところの、息子の成績に対する夫の反応を見ていると、正直に自分を通して、その結果、先に一枚、殻を脱いだのは、夫の方ではないかと、思えている。
「わけわかんねえメール寄越しやがって、クソオヤジぃ」と言っている息子の顔は、明るい。
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2002
05,29
10:00
梅の木―いのち「開く」
CATEGORY[未選択]
勤め先に至る坂の両側に梅の木が植えられている。毎朝、この梅の木を見ながら百メートルほど坂を上る。今の時期、太陽の光に透けた葉が重なりあって緑濃くなる陰に、薄緑色の実がついているのが見える。
若い実は輝くばかりに美しい。
長年見てきている梅の木だが、いつも新鮮な感動を覚える。
梅の花期は長い。2月から、約1ヶ月間、1年で一番寒い時期に、つぼみから満開までを楽しませてくれる。
花が散ってしばらくは、3月のまだ冷たい風の中、梅の木はただごつごつした枝だけの存在となる。
それが4月の声を聞くと、みどりの若葉が枝の裂け目からいっせいに噴き出してくるのだ! 1日のことがいえない。
1週間もたつと、すっかり見違えてしまうくらいに葉が木をおおう。おそろしいばかりのこのエネルギー――まさに「生きて成長している」という感じ。
そして、芽を吹きだしてからたった1ヶ月で、葉は茂り、その奥に小さな梅の実がつく。
生物学的な説明を聞いても、この変化には驚嘆させられる。
毎朝、自然は(人間も含めて)生の輝きへと向かうエネルギーを持っているのだと実感できるひとときを味わっている。
ふつふつと歓びが湧いてきて、思わず空に向かって背伸びする。
ところで、今の暦の基を作ったのは古代ローマ人である。だから、英語の月の名も、実はルーツがラテン語というわけ。
その中で、4月(April)の語源は aperio という。意味は open up (開く)。寒い冬を経て「大地がまさに開いて植物が成長を始める」という感じを古代ローマ人も抱いたのだろう。4月の頃の梅を見ているとほんとうに毎日「開いて」、中から命が萌え出ているという感じがする。
さらに5月(May)。これは「成長」をつかさどる春の女神 Maia にちなんだ名前である。開いた芽は5月の暖かい風の中でぐんぐん成長していく。
命が伸びていくのを見るのはとても気持ちがいいものだ。見ているほうまでエネルギーを与えられるような気がする。
今はもう5月も終わりになり、次なるステージ、6月へと暦が変わる。
6月(June)――成熟の月、結婚と出産の女神「ジュノー(Juno)」の月だ。
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2002
05,21
10:00
「単純」ってすごいことかも?!
CATEGORY[未選択]
ゴールデンウィークも過ぎると、新入生の間で「五月病」という症状が起きる時期になる。
わが息子どのも生彩がなかった。念願かなって希望の高校へ入ったものの、現実には夢飛躍する毎日というわけにはいかなかったのだろう。
そもそも屈指の進学校といわれるこの高校に進学したのは、ただただ「姉たちに見劣りすると思われたくない、また、自分でも思いたくない」一心からだったようだ。母親としては、内心「勉強が好きでもないし、この高校が求める部分では、力が出しきれるようには思えないので(早い話が成績面で心配)、もっと楽なところに進めばいいのに」と思っていた。
合格発表のとき、息子は手放しで喜んだ。上の2人では見られなかったような喜びよう。私も息子のうれしそうな顔を見て、単純にうれしかった。
しかし、その喜びも長くはなかったようだ。姉たちから聞いていて「進学校」というのは大変とは思っていたらしいが、聞くと見るとでは大違い。
まず、入学式翌日の試験で、ガーン。本人にとってはそんなに悪い点ではなかったのだが、まわりが優秀すぎた。いきなりのパンチ。
そして、毎日毎日の山のような宿題。中学時代あまり宿題も出されなかったし、ましてや家庭学習の習慣が身についてない。「疲れた~、疲れた~」を連発する日々が続いた。この高校に進んだことにちょっぴりの後悔もあるかもしれない、と思いさえしていた。
本来ならば、超心配性の私、長女のときは、ちょっと成績が下がっても、気になったものだ。息子の「しゃれにならない」くらいのスゴイ成績がショックでないわけがない。しかし、実はさほどに気にならなかった。
3人目ともなれば、「経験値」が高まっているから?
でも、「経験値」だけではない。
なんだか、息子は、成績が振るわないぶんだけ、「明るく前向きな気分」を神様からプレゼントされているらしい。
落ちこんでいたのもほんの1週間ほど。今テスト週間だが、「平均点とれたらいいなあ。これって、情けない話だよね。でも、平均ほしいーっ」と言って大笑いしている。そして、笑いながら、けっこう真剣に勉強している。
もしこの笑いが「顔で笑って心で泣いて」のものであったとしても、こんな気持ちのよい笑い顔ができるのなら安心。やる気を失っていないのなら安心。
息子はただ単純なだけかもしれないが、なんだかとっても明るいテスト週間だ。
「単純」ってほんとはスゴイことなのかもしれない!
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2002
05,08
09:59
「みんなが孫悟空」
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5月4日、「みんなが孫悟空」上映と鳥山敏子講演会。
スタッフ試写会の時は何ともなかったのに、なぜかこの日、子どもたちがぶつかる場面や「空の上にまだ空がある・・・」と歌う場面で、感情がこみ上げてきた。
子どもたちがあの瞬間を一生懸命生きていることがつくづくと感じられ、「いとおしさ」がこみ上げてきた。
閉会の挨拶のとき、予想もしなかったことに、涙声になってしまった。
不思議な感じ。
この前(試写会)のときの私と、今日の私と、どこが違うっていうんだろう。
その間、私の感情を揺れ動かすことがあったわけでもないのに。
講演会が終わって、スタッフと鳥山さんとで1時間半あまり、お茶を飲みながら話す時間をもった。
スタッフが今日の感想や、日ごろ抱いている疑問などを投げかけ、鳥山さんが応えて語る。
静かに思いが交わされる時間が流れた。
「鳥山さんってこわい、という人がいます」
「あっ、それ、こわいんじゃなくて厳しいってことだと思うけど」
「厳しいけど奥に優しさがあるよね」
「7年前初めて鳥山さんのワークを経験したときは正直怖かった。でも自分を見つめる年月を経て、今日こんなに身近に鳥山さんと接してもぜんぜん怖くない私がいます」
鳥山さんの顔が、やさしい笑みを浮かべていた。
「私たちは『ほんとのほんとのほんと』を求めて魂の旅を続けていって、そして、変わっていくということなのかもしれないね」
そのときの鳥山さんの顔は私には神々しくさえ見えた。これまで彼女がこんなにきれいな人だと思ったことはなかった・・・・。
私は鳥山さんが「みんなが孫悟空」上映中にそっと涙をぬぐっていたことに気づいていた。
鳥山さんは「みんなが孫悟空」のあと、教師を辞めた。いろいろな葛藤と気づきと決意があったと聞いている。
「あの子たち一人ひとりと離れていてもつながっている。もう会うことも話すこともない子も、私の中にいるんですよ」
空がある 空の上に まだ空が
どんな 大きな 空よりも
もっと 大きな ものがある
限りない 魂の ひろがりへと
旅立つわたし ちっぽけなわたし
海がある 海の底に まだ海が
どんな 深い 海よりも
もっと 深い ものがある
限りない 魂の 深みへと
旅立つあなた ひとりのあなた
幾重にも深く存在している「本当の自分」、見つけたと思っても、さらにもっと深いところの「ほんとう」を求めて、魂は、旅を続ける。
鳥山さんの魂も、限りない宇宙の果てへと「ほんとのほんとのほんと」を捜し求めて旅を続けているのだな。きっと私たちの想像も及ばない、死と再生を繰り返しながら。
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2002
04,30
09:59
母恵夢の思い出
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連休のお土産に母恵夢(ポエム)というお菓子をいただいた。
なんでだろう、このお菓子を見ると、それほど親しいともいえなかった、ある家族のことがいつも記憶の中に蘇ってくる。
我が家の子どもが保育園に通っていた頃、長女・次女と、名前の組み合わせが逆の姉妹がいた。そんなによくある名前でもないので、偶然の一致が珍しかった。
あるとき、保育園の行事で全園児と親が海水浴に出かけるということがあった。お昼を食べるとき、偶然その家族と隣り合わせた。ご夫婦共ちょっと年配で、落ち着いてやさしそうに見えた。当時仕事一直線の夫に参加してはもらえなかった我が家では、母と子とでお弁当を食べていた。
私が子どもの名前を呼ぶのを聞いて、そこのお母さんが「うちと同じ名前ですね。姉妹が逆だけど」と声をかけてくださった。それがきっかけで、ひとしきりとりとめもない話をしたあと、「召し上がれ」とくれたのが母恵夢だった。これは私が子どもの頃からある四国愛媛の銘菓だったが、大人になってからは、甘ったるしいので、めったに食べなくなっていた。
「なつかしいですね」と言うと、その人は「母恵夢ってほんとに甘くて、柔らかくって、名前の通りのお菓子なんですよね。私、実家が愛媛なんです」そう言うとしばらくじっと手の中の母恵夢を見つめていた。なにか自分の思いに浸っているような様子で、その顔がとても印象的だった。
「おやさしいんでしょうね。お父さんもお母さんもやさしそうで、うちの夫婦とは大違いですね」と言うと、今度はもの悲しいような顔になって「そう見えるだけです。今、小学校の臨時教員をしています。前は正式の教員でしたが、結婚でこちらに来て、辞めたのです。でもやっぱり勤めたくて臨時講師をしています。私、教員の仕事が好きみたいで、一生懸命になると、子どものことや家のことなんか、ほったらかしになるんです。家では、まるで鬼なんですよ。夫にはイライラのぶつけっぱなしで、子どもの世話をするのもおっくうで、悪い妻、悪い母です」と言って笑った。
軽いノリで始めた会話が思わぬ方向にいったのに慌てた私は「まあ、そんなあ」と軽く受け流そうとして、言葉に詰まった。再び、母恵夢に視線を落とした彼女の顔が、思いのほかに暗くせつなそうに見えたのだ。
もう20年近く前の思い出である。
そんなに親しいわけでもなく、クラスも違っていたので、長い話をしたのは、その海水浴のときぐらいだったような気もする。
それから1年ほどして、その姉妹は保育園を辞めた。仲間のお母さんから、離婚して母子3人で四国に帰ったということを聞いた。やさしく穏やかなご夫婦だったのに、人はわからないものね、という声が聞こえた。
「家では修羅です」と言って、母恵夢をじっと見つめていた人。
母恵夢を見ると、もう記憶のかなたに、その輪郭も薄れた、短い出会いを思い出す。そして、自分も含めて人間がせつなくいとおしい存在に感じられる。なぜなのかわからないけれど。
忘れられない母恵夢のこと。
(お菓子のCMではありません。別に好きな味でもないので。母恵夢さんごめんなさい)
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