NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2003
06,12
10:20
「今日の私が一番若い」
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「今日の私が一番若い」
まっすぐ前を向いた鳥山さんの顔はいっそう輝いていた・・・.
鳥山敏子さんは「豚一頭まるごと食べる」などで知られた,実践教育の人だった.子ども達による「みんなが孫悟空」の中国上演を終え,モンゴルの大地でねっころがったとき,彼女は小学校教師を辞めようと決めた.そして「賢治の学校」を起こし,一方で全国をワークショップの旅をしてまわった.
10数年の間,鳥山さんは,親や子の,抑えに抑えた感情が爆発する,つらいワークにたった一人で立ち会ってきた.
私は,その間数年,岡山で鳥山さんのワークショップのお世話をしたが,当時,ワークの最中の鳥山さんの顔は厳しいものだった.参加者の心の叫びを受け止めるなかで,自分自身も怒りや悲しみに満たされているのではという気がすることもあった.
その彼女がドイツのシュタイナー学校で学びなおすことになり,先週,美作賢治の楽交で,岡山での今年最後のワークが開かれた.
私にとっては久しぶりのワークだった.
そこには,以前のような,ぶつけ合う感情が重なり合ってさらに大きな怒りになっていくという場面はなかった.
ワークの間中,鳥山さんの顔は慈愛に満ちていて,声はやわらかにしみてきた.以前の,激しい感情のぶつかり合いとそのあとのカタルシスを経験している人には,物足らなかったかもしれない.
この,落ち着いたワークは,鳥山さん自身の心を反映しているように思えた.
そして,私は,こんなにきれいな鳥山さんを始めて見た.
今回も,ワーク対象者として「親が子の気持ちに気づいてくれないから,そしていつまでも自分の人生を自分のものとして生きてくれないから,子は,受け止めてもらえず,手本も示されず,どう生きていいのか分からない,一歩を踏み出せない」と親を責める子ども世代が名乗りをあげた.子どもらは,鋭く親に要求を突きつけ,親らがそれに反応していった.その中には実の親子もいた.すれ違うことばに,私は苦しくなっていった・・・.
ひとしきり応酬があったあと,鳥山さんが静かに口を開いた.
「親を責め,親を変えよう,と思っても,さてこの通り,親は生きてきた時代背景があってこれ以上どうにも変われないみたい.この親を変えなければ自分の人生がないといってがんばるのもあなたの人生の,ひとつの選択だけど,親は一生かけても変わらんかもしれないよ.そのうち親の方が死んでしまうだろうね.そのとき,あなたの人生はなんだったの? そういう人生が悪いというのではないの.それもひとつの生き方だから.でもつまんないよね.親に『自分の人生を生きよ』と言い続けているあいだ,あなたはあなたの人生を生ききれていない―もったいないよね.つまんないよね.もう,親の事は見切って,自分の命を大切にしていく人生の方を選んだ方が楽しいと思うんだけど」.
そして,空海上人の書かれたものから「親を辞して師につく」という一節を引用された.
「いいかげんに親を離れ,自立し,新たに人生の師を探していく,そういうときがきてもいいね.親を責める人生は,親からも自分からもエネルギーを奪い取る.何もあとには残らない.自分の命を生き生きと燃やしたか,と問われると,悲しいよね.いいかげんに親を切りなさい.そして孤独を引き受けて,生きることです」.
これは,鳥山さん自身の人生だ.
33歳のとき,竹内敏晴という師と出会い,それまでの自分を捨て,新たな自分を構築する旅に就いた鳥山さん.
そして,60歳を越えた今,また新たな旅に出る.NPO法人としてやっと軌道に乗った賢治の学校を離れて.
「いつまでも同じ人間がやっていたのではだめなのよ.破壊し,新生していく―そうやってどんどん生きた学校であり続けるの.それが真の学校よ.私のやり方が固定してはダメ,私を壊して新しい賢治の学校が生まれていけばいい」
言いながらもう鳥山さんは次のステージ―ドイツでの学びにわくわくしているのだろう.新しい展開への喜びが伝わってきた.
「今日の私が一番若い」―やはり鳥山さんは「今」を生きる人だ.60歳を過ぎて,いや死ぬまで「今」を生き続けていくだろう.いっそうくっきりとしてしかも柔らかい,その顔に,私はずっと見とれていた.
「今日の私が一番若い」
口にすればするほど,私のからだのなかにも,いのちが満ち満ちてきた・・・.
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2003
06,05
10:21
「欠けたところ」を受け入れて生きる 2
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吃音の方々のセルフヘルプグループ・岡山言友会の集いに参加させてもらったことで,私自身の「欠けたところについて悩んだ日々」を思い出していた.
吃音から言うと小さい悩みだと非難されるかもしれないけど・・・当時は本人にとって「これさえ解決されれば,私の人生はどんなにかすばらしくなるだろう」と切実に悩んだものだ.
私の,小さいときのお気に入りの童話は,アンデルセンの「醜いアヒルの子」.皆さんご存知の童話.
アヒルの雛たちの中に一羽,灰色で頭でっかちの醜い子がいた.ネコや鶏からも馬鹿にされ,兄弟たちにもいじめられ,とうとう家出をする.行く先々で,ぶかっこうだといじめられ,雪の日に凍死しかったり,つらい体験を重ねていく.
やがて,かわいそうな「醜いアヒルの子」も春を迎える,そして,アヒルの子は,本当は白鳥の子だったことがわかる.「醜いアヒルの子」は,真っ白な美しい若鳥となって飛び立っていく.
子どもの頃,繰り返し繰り返し読んでいた.醜いアヒルの子がいじめられる場面では胸を痛め,美しい白鳥となって飛び立っていく最後の場面では「至福」を味わっていた.
そう,私は,「外見コンプレックス」が大きかったのだ.
母が美人だったので,比較されて自分がブスだということをよけい意識していた.
「親は美男美女なのにねえ」「弟と代わっていればよかったのに」という,周囲の心無いことば,「目だけはきれいよねえ」という慰めにもかえって傷ついていた.
だから,小さいときは,醜いアヒルの子のお話や,ルーズベルト大統領夫人の伝記(彼女は小さい頃不細工だったらしい)を読んでは,「いつかはアタシも」と夢を見ていた.けれど,小学校も高学年になると,どれもこれも「お話の世界」のこと―醜い子はいつまでたっても醜い,「何かすばらしい出来事」なんて起こりはしないと,思い始める.
だから,いじけていたよね.
自分が人に好かれなかったり,失敗したりするたびに「私がかわいくないから」だと,原因を「外見」のせいにしていた.
「かわいかったら全てうまくいくのに」みたいな思いに取り付かれていた.
そのうえ,プライドがあるから,容貌コンプレックスがあることなんかこれっぽっちも見せなかった.「私,おしゃれに関心がないの」「洋服なんかほしくないもん」「自分の外見にキョーミないわ」っていう態度だった.でも,思春期の頃,自分の外見に興味ないわけないじゃん.強がっていただけなんだよ.ムリしてたなあ.これじゃあ,性格,よけい捻じ曲がるよね.
そのうち親も,私のことは「おしゃれに興味がない」と思い込んで,必要な服しか買ってくれなくなったもんね.
あー,書き始めたらキリがないくらい「容貌コンプレックス」に関するエピソードは出てくる・・・.
「もし私がかわいかったら・・・」って,いつまで思っていただろう.
そのことへの囚われからは,いつの間にか抜け出していた.
どうしてかって言うと,人生が忙しくなって悩むどころではなくなったし,もっと気になること「目標」といっていいものができたから.
今,あの悩んだ期間は無駄ではなかったと思えるけど,ずっと引きずっているとしたら,人生の浪費だよねえ.「ブス」に囚われていたときの私は,自分で自分をもっとブスにしていたと思う.
自分が納得しないかぎり他人がどんなに言おうが,コンプレックスから抜け出すことはむずかしいだろうけど,やっぱり言いたい―ドモリやブスが人生を失敗させることはない,と.それよりも,それに囚われる自分自身が「失敗」を生みだすのだ.
「欠けたところ」があっても,いやそれだからこそ,人生は一生懸命生きられる.
そして,外見的には「白鳥」になれなくても,別な意味で,そういった人生には「白鳥」になるときが必ず来ると思っている.
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2003
05,30
10:21
「欠けたところ」を受け入れて生きる
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日本吃音臨床研究会代表,伊藤伸二さんを囲んでの集い(岡山言友会主催)に参加させてもらった.
伊藤さんは,「ドモリ」を否定し,「ドモリ」さえなかったら,と悪戦苦闘する青少年期を過ごした後「吃音を自分の個性ととらえ,吃音を治そうという努力をやめ,『自分自身』を生きる」決意をした.以来,吃音関係者の批判にさらされながらも「治さないという選択」を訴え続けてきた人である.
伊藤さんのことばは「変えられないことを受け入れる強さ」に充ち,「変えられることか,変えられないことかを見分ける英知」に輝き,そして悩む人たちへの限りない愛情があった.
集いでの話は,吃音に限らない,すべての人に通じる,生き方の問題提起になっていた.このあと,岡山言友会発足当時からの会員のUさんとメールのやりとりをした.その中にこういう一節があった.
言友会は,吃音を治そうというより、吃音と上手くつき合いながら、吃音を含んだ自らの個性を磨き、どう自由に、活き活きと生きていくかをいっしょに考える会だと思います.
でも私は決して「どもりで悩むこと」を否定的に捉えるものではありません。どもりで悩んだからこそ、今の自分があり、人から無視されたり、さげすまれたりすることの辛さがわかるのです。人間は悩むことによってより深い思索ができるようになるのだと思います。
ただ、悩んだ末に、どもりを隠そうとして、日常の責務を怠ったり、消極的な人生を送ろうと思ったりすることは、決してプラスにはならないと思います。そういう意味でどもりを肯定的にみる見方が重要な意味をもってくるように思うのです。
今も、若いメンバーはできれば吃音を治したいと思っているようです。民間の吃音矯正所、吃音に関する専門家などは「吃音は治る」というメッセージを発していますが、私たちは「吃音はひとつの個性であり、吃音を治す努力をするよりも、コミュニケーションに関するもっと根源的な努力をするほうがいい」ということを発信し続けたいと思っています。
伊藤さんのお話といい,Uさんのメールといい,うなずくところが多い.
吃音に限らず,人はみな何かしら「欠けたところ」を持っている.それが今の社会の価値観でどう評価されているか,あるいは本人がどこまで「欠けている」と意識するかで,悩みの度合いは決まってくる.
要は本人次第なのだが,欠けたところばかり追い求めて,かなわぬ夢に人生を浪費するよりは,自分自身の欠点を認めて,そこで生きていくことの方がどんなに実りをもたらしてくれるか――「欠けたところ」はあるのが普通,ないとおかしい.「欠けた」あなたが,あなた.何かのせいにして思い悩むエネルギーを,目標を持って,「自分」を生きることに向けてみたら,世界は違ったものになる・・・ということかな.
これは今の年齢になると実感できる.
ただ,若者にそれを諭しても,なかなか納得はできないと思う.伊藤さん自身,「吃音とともに生きる」ということは,長い間葛藤した結果やっと得た「納得」だろうから.「悶々と悩むこと」も必要なんだろう.
今私が願うのは,「前を向いて」悩んでほしいということ.
伊藤さんやUさんのような先達が,自分も歩きながら,振り返り振り返り,若い人たちの歩みを見守ってくれているのだから
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2003
05,23
10:23
美容整形ブームなんだって
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今,アジアで美容整形が大流行,らしい.そういえば,今年の高額納税者の中に整形外科医が入っていたということで話題になっていたなあ.
アメリカの雑誌の「アジア版」の特集で知ったのだが,今や,韓国,中国,タイ,そして,日本で,「大きな目」「高い鼻」「小さくしまった顔」を求めて,若者がいとも簡単に手術を受けているとか.
驚いたのは,韓国で,両親からの高校の卒業プレゼントの一番人気が「目の整形」だということ.韓国はその昔,親からもらったからだは,たとえ髪であっても損なってはいけないとされていたのに,今は,学校帰りに形成外科に寄って,朝出かけたときとは別人の顔になって帰ってくることも少なくないとか.共産国だと思っていた中国でも学生が手術を受ける件数は年々うなぎのぼりだそうだ.これは,人より外見がよくないと,就職も結婚も(これが人生における成功の二大要素だから)うまくいかないから,学歴をつけるのと同じ感覚で,外見もよくして「競争」に勝ち抜く武器にするということらしい.
でも,いつから大きな目,高い鼻,すらっとしたスタイル,豊かなバストが「美」になってしまったんだろう.アジア人の特徴(細い目,低い鼻,ずんどう,小さな胸)とは対極にある,アングロサクソン的特徴を「美」と考え,渇望するようになってしまったのだろう.
以前,ドイツ人の友人が,日本女性の細く切れ長な目はミステリアスでセクシーだと言っていたけれど,今は「黒髪で細い目」の女の子になんか,めったに出会わない.
その背景にあるのは,ひとつには,アジア文化の崩壊があるような気がする.
日本人は「ひそやかな美」を好む国民だった.アジアには以前「老人」が尊敬される文化があった.「老成」という言葉もあるように,歳をとることは価値があった.また,「雄弁は銀,沈黙は金」ということわざにあるように,黙っていること,控えめなことはある意味,賢者の徳とされていた.
今,アメリカ文化の洪水の中で,町はけばけばしく,若者が傍若無人に闊歩している.ひそやかなものは姿を消し,老いは醜いとされるようになってきた.
また,強く,美しく,頭がよく,堂々としていて,主張がはっきりしていることがいいことであり,そういう条件を満たす人が,世の中のリーダー足りえるのだという価値観に侵食されている.
若く,美しく,強く・・・か.
それが,一瞬の夢のように思えるのは,私自身,もうこの新しい「文化」からリタイアした「老人」になっているからかな.
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2003
05,15
10:23
「おれ,もう少しで死ぬとこやったな」
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夫が退院して岡山に戻って来た.
入院したいた時よりは少し体重が戻ったみたいだが,それでも,やせて,歩き方も一気に老人っぽくなった.
夫は家に着くとまず庭に回って,つつじを見た.
20数年間,年に1,2輪しか花をつけたことのなかったつつじが今年は満開になった.入院中に,携帯電話に写して見せていたのだが,実物を見て「すごいなあ」と一言.しばらく黙って眺めていた.
そして,ぽつりと「おれ,もう少しで死ぬとこやったな」
入院中もずっと強気を通してきた夫から初めて出た「弱さを認めたことば」だった.
夫は家にいる間,庭仕事をして過ごした.ホントに狭い庭なのだが,庭木の剪定をして,切った枝をかたづけ,落ち葉を掃いていくと,3日間かかった.そうやって,木や土と接していく中で,少しずつこころとからだの状態を元に戻していったようだ.
その間次女も帰省して,久しぶりに4人で食卓を囲む.ワイワイしゃべりながら食べる食卓はにぎやかだ.
「なんかいつもの食事と違うよなあ.4人で食べるのはこんな感じだったんだ.忘れとった」と,息子.
「これが『食事』だよなあ」と夫.
なんだかしみじみと「生きている喜び」を味わっているようだった.
これで少しは「天上天下唯我独尊」的生き方が修正されるかな,と期待した.
ところがだ,しばらく療養して再び東京に戻っていった夫,「ばかは死ななきゃ治らない」の通り,もう「聞く耳もたぬ」人間に再生している!
病を得た身の一人暮らしを案じ,毎日電話でいろいろ言うのだが,ゼーンゼン聞かない.なんか腹がたったが,でも落ち着いて考えれば,人は変えようったって変わるものではない.「変えよう」とする私のエゴの方がいやらしいかもしれない.
今の夫のありようこそが,「夫」なのだからと認めるしかないな.
変わるものなら変わっていくだろう.
「おれ,もう少しで死ぬとこやったな」というつぶやきは,今でも夫の意識の底で繰り返し繰り返し響いていると思うから.
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