NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2006
04,17
22:28
集まりのあとで(2)
CATEGORY[未選択]
以前読んだ小説で、自分たちの利益しか考えない大人の中で育った少年が自分自身を語る場面があった。
大人たちの気に入るように相手によって自分を変えてきた。相手が喜ぶように反応した。みんなに気に入られるようにした。そうしなければ生きられないような気がしたから。それは不安定な関係の中で生きる知恵だった。
相手に合わせて自分を変える、これは一種の「擬態」だ。でも、そのうち「今の自分」が本当の自分かそれとも擬態をしているのか、自分でもわからなくなってしまった・・・。恐ろしいほどの孤独感と不安感。自分というものに対する不信感・・・。
私も子どもの頃からおそらく「擬態」をとってきたと思う。素の自分を出すと嫌われる、相手に合わせて相手が心地よいように言葉を選ぶことが習慣になってしまった。
同僚にも、ときには家族に対してさえ、あまりにも自然に「あわせた」ことばが出てくるので、もはや自分でも「擬態」とは思えない。でも「擬態」のあとは、必ずむなしくなる。自己嫌悪に襲われる。
「NAGIさんは自分のことを好きじゃないでしょ」昨日の集まりでHさんが言った。そう、「擬態」を重ねる自分を信用きるはずがない。
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2006
04,16
22:35
集まりのあとで(1)
CATEGORY[未選択]
夢を見た。
夢の中で、母がいて、子どもの私がいた。
場面が変わるとそこは保育園で、今度は母である私と幼かった頃の私の子どもがいた。
どちらの場面でも、つらい気持ちがあった。怒ったり、泣いたりしていた。
そのとき、これが夢だと思っているもう一人の自分がいて、「子である私のせつなさと、母である私の罪悪感」を同時に感じていた。
母子関係からでしか、自分というものを語れない自分を、3月の竹内レッスンで自覚した。何とも関連付けられないで「わたし」を語ることはできないの?毎日思い出しながらも、忙しさを口実にその感情に向き合うことをしないまま来ていた。
「無意識のわたし」が、そんな私を許さず、夢を見させたんだと思った。
「無意識のわたし」はさらに容赦なかった。
急に今日我が家でいつもの集まりを開くことになり、7人が集まった。
まったく別な話題から入っていたはずなのに、最後、私のことになり、竹内さんから指摘されたことを、久しぶりに会ったHさんから言われた。
すごく直接的な言葉だった。そのとおりだった。
私が抱えてきた問題を、竹内さんが全く別な角度から見るきっかけをくれた。それを、Hさんはもっと直接的に示してくれた。
子どもや母や夫との関係性の中でしか、自分自身を語れないのはどうしてか。いろんな人との関係性の中で生きているわたしを超えたところにいる「わたし」と出会わなければならないんだ、と、今、強く、思う。
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TB[]
2006
04,15
21:13
これからまた書きます!
CATEGORY[未選択]
「えと・おーる」のHPがここに移って以来、NAGIの不思議日記が書けなくなっている。忙しかったからとか、寒かったからとか理由を挙げているが、本当は私がこの「ブログ」という形式に馴染めずにいるせいだと思う。
ブログっていったって前と同じだ、と思うのだけど、NAGIの不思議日記では「誰か」の目を意識したことはない。自分の思ったことを記録しておくという気持ちだった。もちろん不特定の人が見ていたかもしれないのだけど、どこかで「自分流」で書く気楽さが保証されていた。
でも、ブログとなると・・・。ブログのイメージが私を怖気づかせる。なんだか、双方向性でやりとりがあったり、楽しくて軽いタッチだったりするものだと思ってしまうのだ。NAGIの不思議日記はそんな開放性はなくて、ひたすら自分の世界を書き留めるだけ。白鳥の群れにカラスが迷い込んだような居心地の悪さがあった。
で、2ヶ月余り・・・。この違和感が吹っ切れて、今日当たりからやっと、まあ、またイジイジした自分だけの独り言を書いていこうかという気持ちになっている。
ブログだと思わなきゃいいんだよね。フロク(付録)のサイトだと思えばいいんだ・・・と、自分に言い聞かせながら。
オバサンの心理は、切り替えにも時間がかかる。ふう。
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2006
03,27
21:53
竹内敏晴からだとことばのレッスン
CATEGORY[未選択]
竹内レッスンを受けたあとは、からだや気持ちがやわらかくなる気がする。
発話や動きのテンポが遅くなり、それだけゆったり反応しているという実感がある。
今回のレッスンは「からだ」と「表現」に集中していた。
「からだゆらし」にしっかり時間がかけられ、「動物になる」「劇の役柄になりきって動き、せりふを言う」といった「からだとことばを使った表現」で終わった。
本当のところ「呼びかけ」のレッスンや「出会い」のレッスンの方が、初めて参加された方には直接的に「自分の今」を実感することになって、わかりやすいかと思う。主催者としてのわたしは、今回初めての方が多かったので、そのことが気になっていた。でも、途中でハタと気が付いた。
岡山で4年間レッスンをしてきた竹内さんが、その流れの中で私たちには「表現」が必要だと思ったんだと。
「呼びかけ」のレッスンで自分の声が相手に届かないことを自覚することは、強烈な体験だ。私がレッスンを続けているのもその衝撃的な体験があったから。
でもいくら「気づいて」も、それだけではなかなかからだは変わらない。
レッスンのときに一瞬自分の声があたたかくやわらかいものに変わったと思っても、それだけのこと。表現するからだにかわっていかなければ、やっぱりそれまでのこと。
今回の表現のレッスンは私にとって大事な、意味のあるものだった。
なにより「からだ」が喜んでいた。
初めての方で、よくわからなかったという方がいらっしゃったら、ぜひ次回もう一度受けてほしいと思います。
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2006
02,05
18:59
復活!「NAGIの不思議日記」
CATEGORY[未選択]
今年になって、ホームページをあげていたサーバが壊れるというアクシデントに見まわれました。現在、管理者である次女が復元中です。残念なのは、この4年間書き溜めてきた「NAGIの不思議日記」のデータがほとんど消えてしまったこと。
消えたという連絡を受けたときには「今の自分は過去の自分の延長上にあるのだから、日記がなくなったのならそれはそれでいいかー」と思っていました。でも、わずかに残ったものの中に、息子が中学卒業のときの文があって、それを読んでいると、忘れていた「あの日のわたし」がリアルに蘇ってきました。確かに、そう感じた自分が、日記の中に生きていたのです。
そういえば「NAGIの不思議日記」にはそのときそのときの偽りのない自分を記していたなあと、4年間の記憶がデータとともになくなったことに対して、初めて後悔の気持ちが浮かんできました。
なんでバックを取っておかなかったんだろう・・・。喪失感で、次女が「不思議日記」を残ったデータとともに再立ち上げしてくれたのに、新たに書き込むエネルギーがわいてきませんでした。
そんなとき、久しぶりに我が家で仲間とおしゃべり会を開きました。えと・おーるの活動でつながってきた仲間と本音で語る会です。
この1年開いていなかったのですが、仲間の一人がウツ症状から仕事を止めてプー太郎になったというので、気分転換にでもなれば、と思ったからです。会は大いに盛り上がり、食べて笑って、本音トークの連発。
おかしかったのは、「大変だったんよ。ウツで」という彼に対して、誰からも「つらかったでしょうね」なんて同情的共感的声かけが出なかったこと。「ウツ」も「プー太郎」もなんでもあり、の仲間ですから。彼は「なんか、ここへ来てると『プー太郎』だってことが大変だとは思えなくなってくる」と言って笑いながら帰っていきました。
みんなが帰って後片づけしていると、私の心のモードが切り変わっているのに気づきました。
また「不思議日記」書こうって。
4年間の記憶(記録)はなくなったけど、また書けば(そして今度はバックもとって)4年後には「こんな自分がいたんだな」っていとおしむ時間が持てるじゃない!
一人で考えて拓いていく道もある。そして、みんなでわいわいやっていく中で拓けていく道もある。
彼も元気をもらったんだろうけど、私も元気をもらって、おそらくほかのみんなも元気をもらって・・・仲間っていいなと感じました。
そして「NAGIの不思議日記」再スタートです。よろしくお付き合いください。
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