NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2002
10,31
10:08
計算どおりには生きられない
CATEGORY[未選択]
一階のトイレのリフォームが終わった.
腰痛に悩まされていた間,和式トイレでは自力で立ち上がれないので,階段を這って二階の洋式トイレまで行っていた.大変だったのでこの際,洋式に改修したのだ.
工事が終わって玄関を片付けた後,絵を架け替えた.
新しい絵は,堀越千秋さんの作品だ.
堀越さんは,読売新聞の日曜版に「赤土色のスペイン」というエッセイを,挿絵とともに連載している画家である.東京芸大在学中にスペインに勉強に行って,そのまま住み着いてしまったとか.
「赤土色のスペイン」はいつから連載されていていたのだろうか,気にとめるようになったのは,半年くらい前からである.文章の間から土着のにおいがして,なんというか,こういう文明の中に暮らしていると,無性に恋しくなる生活が描かれている.
特に「カンテの歌い手,ジプシーのホアンとの交流」の話の頃から,おもしろく感じ始め,楽しみにするようになっていた.
1ヶ月半前,その堀越さんの個展が岡山であるというので,腰痛の合間に出かけた.もちろん好奇心だけ.買う気なんかなかった.
でも,私は自分のことがまだよくわかっていない.
腰痛による苦しい日々を経て,久しぶりに出かけたときにスペインの鮮やかな風が吹いたら,どういう気になるか・・・.
会場で出会った,赤と緑に惹かれて,ついふらふらっと買ってしまったのだ.
余分なお金があったわけではない.
勤め人の生活は,自営の方とは違って,安定しているかもしれないが,入ってくるお金は限られている.いきおい,つつましく計画的に暮らすという習慣がついてくる.
でもね,計画的に暮らし続けるというのもなかなかにむずかしい.
ある日突然羽目をはずしたくなったりしませんか?
バカなこと,無駄な(と言われる)ことに首を突っ込みたくなったりしませんか?
ふらっと旅に出てみたくなったりしませんか?
落ち着いた年齢になっても,私はしばしば,この「衝動」に襲われ,血が身内からたぎってくる.
「衝動買い」もその一つの現われかな.今回も夫に「トイレの改修で出費が見込まれるときに,要らないモノを買って!」と文句を言われた.
夫に対しては,無駄遣い(?)も,バカな行動(?)も「バランス」のためには必要だと思うけど・・・と,言い訳している.
でも,ホントは「無駄」なモノともコトとも思ってはいないんだよん.
人生,計算どおり,合理的に,ばかりでは,生きられない.
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2002
10,24
10:09
ただただ無為な日の果てに
CATEGORY[未選択]
8月末のぎっくり腰から,とうとう2ヶ月近く,腰痛とつきあうはめになってしまった.
一時,もう治るかなと思ったこともあったのだが,数日もたたないうちに再び悪化した.腰が痛いのがこんなに大変なことだとは思ってもみなかった.
最悪のときは,ただ横になってうんうんうなっていた.起き上がることもできない.立つと痛い,歩くと痛い,座ると痛い・・・うつぶせはダメなので,書類とかレポートを書くなどの仕事をすることもできない.ただただ寝るしかなかった.
その間に飼い犬のガオが倒れて・・・死んだ.自分を責める気持ちが日ごとに大きくなって,一時は毎日のように泣いていた.
そして,犬と同列に書いては申し訳ないが,お世話になった元上司が急逝された.
自分の生き方に対して信念をもっていた方だった.要職にあって,なおも誠心誠意仕事に邁進されていた.はっきりものを言う方だったので,一部の人たちには煙たがられていたかもしれない.
しかし,私たちには,理解ある上司だった.この方の元で,私はいくつか責任ある仕事をさせてもらった.当然,仕事量が増えたが,認められているという信頼感があって,決して嫌ではなかった.
辞めるときは,「引き際をきれいに」という言葉どおりの去り方だった.そして,最後の日も遅くまで仕事をされていた.ご自分の仕事にプライドを持って,信念を貫いた―-その意味では,幸せな「職業人生」だったと見えた.
ところが,退職してこれから奥さんと海外旅行などしてゆったりと過ごそうと計画されていた矢先,脳梗塞で倒れられた.
1年半前のことだ.運良く軽い後遺症が残っただけで,お家でリハビリに励まれていたが,1年後,心筋梗塞.それも九死に一生を得たのだが,入院中に胃がんが発見され,摘出手術.手術が成功し,お見舞いにうかがったときはお元気になられていたのに,退院して2ヵ月後,本当に急に心臓発作で帰らぬ人となられた.
「働くだけ働いて年金もたいしてもらわずに死んで損な人だ」「あんなにコンをつめて働くからだ.僕はのんびりやろうっと」――職場の男性諸氏が話しているのを耳にする.
私はそうは思わない.損も得もない・・・ああしか生きられなかったんですよね.
どんなに人生やり直しても,あの方はきっとまたああいう生き方をするだろう.今回の人生もきっと後悔はなかったはずだ.
早すぎる死を悼む気持ちはあるが,さわやかに力強い風を残して,誇り高く去っていかれたいう感じがする.
ただ,最初の脳梗塞のあとにお見舞いにうかがったとき,「今回は,予定していたヨーロッパ旅行をキャンセルしてしまいましたが,私は,まだ,あきらめてはいません.治ったらきっと二人でいきます」と,おっしゃっていた奥様の口惜しさを思うとつらい.仕事に情熱を燃やして働くだけ働いて,逝ってしまった夫.残された者の哀しみの深さは計り知れない.
飼い犬の死,元上司の死...さらにこのところ立て続けに,知り合いの死の知らせを受け取った.
腰痛のつらさ,思うように働けないもどかしさ,おおよそ,私らしからぬ無力で無為な毎日の中,死が身近に通り過ぎていった.
ちょうど1年前,私自身も死を自分ごとととして意識することがあった.それは,不思議な感覚だった.なんだか自分と自分以外のものとの境界が薄くなっていくような,透明感があった.
それに対して,夫の憔悴は大きかった.
そのとき実感したのは「死」は,去っていく人よりも,残された者の方に大きな意味を与えるもののようだということ.
今,自分が見送る側に立ってみて,「死」は,愛する者への最後のプレゼントだと思いたい.
どんなにつらくても,残された者は,それを受け取らねばならない.
そして,嘆き,怒り,悔やみ,振り返り,叫び,涙にくれ・・・その果てに大切なものを再発見し,また自分の「生」を生きはじめるのだろう.
そう思いたい.そう,思って,生きていきたい.
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2002
10,15
10:09
ガオ[6]-車椅子をカタカタ鳴らして・・・
CATEGORY[未選択]
2階のベランダで洗濯物を干すとき,庭にいるガオとよく目が合っていた.何しているんだろうと,じっと目をこらしてこちらを見上げていた様子が今でもありありと浮かぶ.
そのイメージが日を追うごとに鮮明になっていくのはどうしてだろう・・・.
事故にあって下半身不随となったガオ―やっと回復すると,今度は「運動」のことが気になってきた.
前足で這うだけではどうしても運動不足になる,どうにかして散歩をさせられないものか―.しかし,感覚がないので,這わせ続けるのは危険だ.地面でこすれて足の皮膚が破れ血が出ても,ガオには分からないからだ.
どうしたものかと思案しているとき,ある本のことを思い出した.
今となっては,偶然ともいえない気がするが,事故にあう1ヶ月前くらいに.市立図書館の児童書コーナーで1冊の本が落ちかけているのを見つけたのだ.直そうとして手にとって見ると「車椅子の犬ハーナ」というタイトルで,表紙には車椅子(後ろ足を台車に乗せて留める)を装着した犬が写っていた.
そのときは何となく書架に戻したが,これが私たちにとってかけがえのない情報となった.
さっそく図書館に行き,記憶を頼りに探した.
本は前と同じところにあった・・・.
車椅子の犬ハーナというのは,交通事故で下半身不随になった野良犬のことで,車椅子を作ったのは,北九州市の木村さん.
木村さんが,交通事故にあって瀕死のハーナを助け,試行錯誤の末,車椅子を作るまでの心温まるドキュメントだった.本には車椅子が評判になって全国から依頼が寄せられ,木村さんは今までに100台以上の車椅子を作ってきたということも書かれてあった.また,このハーナと木村さんのお話は映画にまでなったということだった.
アルミで精巧に作られた車椅子が実際には役に立たない(犬が嫌がって装着しない)という話も聞いていた私は,この木村さんにガオの車椅子を頼めないものかと考えた.
まず,出版社に連絡先を問い合わせたが,だいぶ前の本なのでわからないという返事.本の中の記述から北九州市の戸畑区か八幡区と予想して,区役所に問い合わせることにした.ちょうど九州の大学に行っている長女が探してくれることになった.
ほどなく住所と電話番号をつきとめたという知らせ.
さっそく電話すると木村さんは入院中だった.あの本が出た当時すでに退職しておられたのでもうかなりのお歳かもしれない・・・.
手紙を書いた.
ガオの事故のこと.車椅子がぜひにもほしいこと.無理なら長女がうかがうので作り方を伝授してほしいということなど,お願いした.
思ってもみなかったことに,それからしばらくして,木村さんから「作ってあげるから犬のサイズを測って送るように」という連絡が入った.
サイズとガオの写真を送った.
退院したばかりのまだ本調子でない状態の中,木村さんはガオのために車椅子を作ってくれた.
車椅子は,廃材と,乳母車のコマを組み合わせて作った素朴なものだったが,犬のことをよく知っている人ならではの,細やかさがあった.なにより驚くほど軽かった.
車椅子には赤いペンキが塗ってあった.「女の子だから赤にしました.似合うといいけど」と書き添えられていた.
車椅子が届いた日,我が家の庭に歓声があがった.子供たちも興奮していた.そして,その日から,車椅子をつけての歩行練習が始まった.
最初はいやがったガオも次第に慣れて,毎日散歩に行くようになった.
前足だけで歩くのだが,車椅子は軽やかに進む.
あっという間に,ガオは町内の「有名犬」になった.
散歩に出ると,必ず誰かが声をかけてくれる.
「がんばっとるなー」
「ガオちゃん見てると元気が出るよ」
「気をつけてなあ」
車で走っているとき見かけたから,と新聞記者が訪ねてきて「車椅子の犬は街の人気者」という記事にもなった.
車椅子での散歩は倒れる前日まで続けていた.今でも車椅子をカタカタ鳴らして散歩するガオの姿が目に浮かぶ.
事故からの4年半のガオの生活は,車椅子なしでは不可能だった.あの本が私の前に「見てちょうだい」といわんばかりにあったのは,天の配慮のような気がする.
ところで,木村さんには,製作費用に他の犬へのカンパを添えて送金したが,それだけでは気がすまないと,長女がお礼に訪問した.
そのときのことを長女は珍しく長い手紙で報告してきた.
電車とバスを乗り継いでやっとたどりついた木村さんの家は玄界灘からの風が吹き付ける一角にあったこと.家の中も外も捨て犬捨て猫でいっぱいだったこと.おみやげにメロンを持っていったけど,場違いに思えるような生活だったこと,肺の病気で話をするのもしんどそうだったのに世話を続けていること,これまでに会ったことのないタイプの人だったことなど・・・.
そして最後に「世の中には,あんな(生き方をしている)おじいさんもいるのだと,知りました」と結んでいた.
この手紙を読んだときの,私の気持ちを何と表したらいいだろう.
なんていうことはない手紙だけど,一時はこころを閉ざしていた長女との日々があったから,その文面がうれしくて,何度も読み返した.
木村さんにありがとう,ガオにありがとう,と心の底から涙が出た・・・.
長い間,ガオのことを書いてきました.
ガオがいてくれたことで,私たち家族はこの10年,たくさんのいい体験をしてきました.
書いても書いても書ききれない思い出の数々・・・.
でも,とりあえず,これでおしまいにします.
ガオの死,そのあと襲ってきた罪悪感も,こうやって蘇る思い出を綴るうちに少しずつ癒されてきたような気がします.
今でも,私の父が作り,夫がペンキを塗り,長女が門札を作ったガオの犬小屋,ピンクの首輪,赤い車椅子・・・が,置いてあります.
そして,イメージはますます鮮明になってきます.
でも,そろそろ,ガオちゃん,さようなら.
うちの家に来てくれて,ありがとう.
皆さんも読んでくださって,ありがとうございました.
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2002
10,03
10:10
ガオ[5]-ガオが受け止めてくれた・・・
CATEGORY[未選択]
次女から帰国したとの知らせ.
今回,ガオの死の前後に,私のぎっくり腰(1ヶ月たった今も完治していない),夫の海外出張,次女のスペイン旅行,と事が続いていた.
家の中のひずみは一番弱いペットが背負うことが多い,と聞いたことがある.ガオも私たちの不幸を何か引き受けてくれたのだろうか.
そういえば4年前ガオが交通事故にあったときも,我が家ではちょっとした「問題」が起こっていた.
揺れる思春期に紆余曲折はあったが,長女も当時大学生になっていた.世間から見れば,何の問題もなくストレートで合格して,「優秀な子」「よい家庭」ということだったらしい.
でも,長女の心を本当に受け止めることができる「やわらかな心」を持つには,私たちは,まだまだ未熟な親だった.剥いでも剥いでもやっぱり変わらない,硬い価値観があった.
夫と長女,私と長女,夫と私は,何か事あるごとにお互いの意見や感じ方の違いから衝突を繰り返していた.
4年前の1月もそうだった.
長女は成人式を迎えていた.
帰省しないというのを,無理に呼び戻し,着物を着せ,写真を撮り,祖父母宅を挨拶してまわった.成人式の日は土砂降りの雨だった.思い通りにことを勧めようとしている私たちには,長女の心中など想像もできなかった.
次の日,何の話がきっかけだったか,長女が気持ちをぶちまけた.そのとき初めて,一連の行事が長女にとっては苦痛以外の何物でもなかったのだ,とわかった.
逆ギレして怒る夫,うろたえる私.きれぎれに悲痛な言葉を出す長女.
ガオが事故にあった日は,そんな大議論の翌日だった.長女は布団をかぶって2階で不貞寝していた.
「帰ってくるんじゃなかった.もう九州に戻る!」
それが,ガオの事故で一転した.家族みんなの意識がガオに集まった.
あのとき,ガオは我が家の嵐を引き受けてくれたのだろうか.
もしそうだったら,今回ガオは何を背負ってくれたんだろう?
飼い主の勝手な思い入れかもしれないが,もし何かガオの死にそういった意味があったとしたら・・・.
たとえそうでなくても,これまで,子供たち3人それぞれの心に生まれる嵐を,ガオは密かに受け止めてくれていたと思う.
そういえば,ガオが倒れたとき,日頃世話をしない長男が徹夜で看病していた.
長女以外はガオとの関係は薄いのかと思っていたが,息子はガオが倒れたとき,こんなことを言った.
「ガオが死んだら,おれが学校から帰ってきたとき迎えてくれる人がいなくなる」
一瞬耳を疑った.息子からこんなことばが出ようとは夢にも思わなかった.
「おれが門を開けると,ガオが喜んで近寄ってきて甘えてくる・・・うれしかったなあ.頭とか首をなでていると,学校で起こったいやなことがだんだんと薄らいでいくんだ」
息子によると,特に中学校の頃,ガオの出迎えによって,ずいぶん心が慰められたとか.誰もいない家に帰ってくるとき,時には,すさんだ心をもてあますこともあったのだろう.ガオが息子のこころに安らぎをもたらしてくれていたことを,初めて知った・・・.
私が知らないだけで,子供たちにはそれぞれ「ガオとの交流」があったのかもしれない.いつか子供たちに聞いてみたい.ガオのことを・・・.
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2002
09,26
10:11
ガオ[4]-事故にあって
CATEGORY[未選択]
夫が帰ってきた.
ガオが倒れて亡くなるまで,ちょうど夫は海外出張中だった.帰国してすぐガオの死を知らせると,電話口で夫は絶句した.ガオの死はそれほど意外なことだった.
夫は予定を早めて帰ってきた.
家に入るとすぐお骨の前に行き「10年間よくこの家,うちの家族を守ってきてくれたなあ」と一言.線香をあげた.
そうだ.ガオは,番犬として超一流だった・・・.
不審者が我が家の庭に侵入したとき,異常に吠えて私たちに知らせてくれたということもあった.近所の人も「ガオは無駄吠えをしない.ガオが吠えるときは,知らない人がうろついているときだけだ」と頼りにしていた.
昼間誰もいない我が家で,知らない人がくると車庫側,玄関側と駆けていって,吠え続け,家を守ってくれていたのだ.
ガオを飼うことを決めたとき,つなぎっぱなしにするのはかわいそうだからと,夫は塀を建て直し,中で自由に動けるようにした.
そのおかげで,ガオは比較的自由に過ごし,「守備範囲」も広かった.
でも,この配慮は,一方で,事故の一因を作ってしまったのかもしれない.
5年前の1月,雨で散歩が出来ない日が続き.やっと晴れた日の昼,子供がうっかり門を開けた瞬間,出たくて出たくてうずうずしていたのだろう――ガオが跳びだした.
庭で自由に走っているガオには,外の危険はわからなかったのかもしれない.
スピードを出して走ってきた車に跳ね飛ばされた.
そのとき,私は掃除機をかけていた.大声で私を呼ぶ長男.棒立ちになった次女.2階にいた長女も駆け下りてきた.
道の真ん中にガオはちょこんと座っていた.・・・正確には,立てなくなっていた.
大きな外傷はなかったが,獣医さんのところに連れて行ってレントゲン写真を見た結果は,最悪のものだった.
――第一腰椎と第二腰椎の間がつぶれて神経が切断されていた.
入院したガオは,どんどん元気がなくなっていくように見えた.こんなんだと,私たちが看病した方がいい! 家族で話して,家に連れて帰ることにした.
帰宅しても,ガオは,リビングの布団に横たわったまま,何も口にせず,声も発しなかった.ただ,目だけが家族の姿を追っていた.
事故から1週間した頃,夕飯を食べていると,ガオが突然「ワン」とほえた.
「ガオがワンって言った,ワンって言った」
みんな大喜び.次の日からガオはみるみる回復していった.
私は,切断部が少しでも癒えるようにと,赤外線治療を施し,身体にいいといわれる水や薬を与え,温泉に行って湯を買ってきてマッサージし,果ては人間用のヒーリングミュージックまで流した.
治療に一生懸命だった.
しかし,ガオが元気になっていくにつれ,私にとって「試練」ともいうべきものが明確になってきた.
尿と便,だった.
排尿排便コントロールができなくなったガオは「垂れ流し」状態になっていたのだ.
何故かわからないが,私には小さい頃から「不潔恐怖」がある.汚いことが苦手なのである.みんなそうかもしれないが,周りの人たちを見ていると,人によって苦痛の度合いが違うようだ.
実は,父が生死をさまよう入院生活をしていた間も,徹夜の看病よりも,病人および病院の器物の汚さの方がつらかった.言うと悪いので,黙って耐えていたが,汚いことが私の精神に及ぼす苦痛は,大きかった.
だから,正直,私にとって,ガオの糞尿の始末はストレスとなった.
あるとき,食事をしていると,何か臭ってきた.おかしいと思って,ガオのところをのぞいて見ると,大きな便が出ていた.びっくりした私は,思わず「ガオがウンチしてるーっ!」と絶叫してしまった.
その瞬間,ガオは少し開いていたドアを鼻で押し開けて,ものすごい勢いでとび出て行ってしまった.不自由な体とも思えぬ速さだった.
はっと我に返った私は「ガオ,ガオ」と呼びながら外を探した.ガオの姿は見えなかった.「ごめんね,ガオちゃん.あんたが悪いんじゃないのに.ウンチが出てもかまわんよ.大丈夫だから出てきて」と呼んでも,ガオは姿を現さない.家族総出で庭中を探し,一番奥まったところの低木の陰にひそんでいたガオを見つけた.手を差し伸べても出てこない.じっと伏せって上目遣いにこっちを見ていた.
物言わぬ動物の目ほど,心を打つものはない.ガオの気持ちが伝わってきて,かわいそうで,申し訳なくて,涙があふれてきた.
もう,便を見ても決してびっくりしない,さりげなく振舞うと決めた.もちろん扱うとき,心の奥にある緊張感は消せないが,努力は出来る.
しかし,その日から,不可解なことが起きてきた.
そのころほとんど回復していたガオは,家人が留守の昼間は,庭で過ごさせ,帰宅後に家に入れるようにしていた.だから,帰ってすぐの私の仕事は,庭や車庫にころがっているガオのウンチを片付けることだった.
それがその日以来,ウンチが見当たらなくなったのだ.昼出なかったのなら夜出るかなと気を付けてみても,もう部屋の中でウンチがでるようなことはなかった.
一体ガオのウンチはどこにいったのだろう,と不思議に思っていると,ある日,わかったのだ.
ガオは私の車が車庫に入ってくると,喜んで身体をひきずって近づいてくる.その時身体を動かすためか,よくウンチが出るのである.その日も車をバックさせていると,ガオのおしりからウンチが出始めているのが見えた.
ところが,車から降りてすぐに片付けようと思って,行くと,「ウンチがない」.
ガオがウンチを食べたのではないか?!
それから気をつけて見ていくと,疑念は確かなものになった.ガオはウンチを食べている! しかも,食べるのは,私がいるときだけとわかった.私がいるとあわててぺろっと飲み込むのだ.
これをどう説明したらいいのだろう.
獣医さんに相談するとすげなく「そりゃ,腹がへっとんじゃ.餌の量を増やしたら食わんようになる」と一言.
でも,これは,うちの家族の間では「ガオのトラウマ」だということになった.
でないと,十分に餌も与えられている状態で,特に,私の前で,隠すように排泄物を食べて処理するだろうか.
汚いというより,ガオがいじらしかった.
そのときから,便が出たときの対応にいっそう注意するようにした.やさしく,さりげなく,なんでもないよ,というふうに.
ガオはそれから1年以上たってやっとウンチを食べなくなった.
ようやく心の痛手が癒えたのだなと,ほっとした.
この「不思議日記」を書きながら,そんなこと一つ一つがまるで昨日のことのように蘇ってくる.
ガオって,心は人間と同じだったよなあ・・・.
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