NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2002
10,24
10:09
ただただ無為な日の果てに
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8月末のぎっくり腰から,とうとう2ヶ月近く,腰痛とつきあうはめになってしまった.
一時,もう治るかなと思ったこともあったのだが,数日もたたないうちに再び悪化した.腰が痛いのがこんなに大変なことだとは思ってもみなかった.
最悪のときは,ただ横になってうんうんうなっていた.起き上がることもできない.立つと痛い,歩くと痛い,座ると痛い・・・うつぶせはダメなので,書類とかレポートを書くなどの仕事をすることもできない.ただただ寝るしかなかった.
その間に飼い犬のガオが倒れて・・・死んだ.自分を責める気持ちが日ごとに大きくなって,一時は毎日のように泣いていた.
そして,犬と同列に書いては申し訳ないが,お世話になった元上司が急逝された.
自分の生き方に対して信念をもっていた方だった.要職にあって,なおも誠心誠意仕事に邁進されていた.はっきりものを言う方だったので,一部の人たちには煙たがられていたかもしれない.
しかし,私たちには,理解ある上司だった.この方の元で,私はいくつか責任ある仕事をさせてもらった.当然,仕事量が増えたが,認められているという信頼感があって,決して嫌ではなかった.
辞めるときは,「引き際をきれいに」という言葉どおりの去り方だった.そして,最後の日も遅くまで仕事をされていた.ご自分の仕事にプライドを持って,信念を貫いた―-その意味では,幸せな「職業人生」だったと見えた.
ところが,退職してこれから奥さんと海外旅行などしてゆったりと過ごそうと計画されていた矢先,脳梗塞で倒れられた.
1年半前のことだ.運良く軽い後遺症が残っただけで,お家でリハビリに励まれていたが,1年後,心筋梗塞.それも九死に一生を得たのだが,入院中に胃がんが発見され,摘出手術.手術が成功し,お見舞いにうかがったときはお元気になられていたのに,退院して2ヵ月後,本当に急に心臓発作で帰らぬ人となられた.
「働くだけ働いて年金もたいしてもらわずに死んで損な人だ」「あんなにコンをつめて働くからだ.僕はのんびりやろうっと」――職場の男性諸氏が話しているのを耳にする.
私はそうは思わない.損も得もない・・・ああしか生きられなかったんですよね.
どんなに人生やり直しても,あの方はきっとまたああいう生き方をするだろう.今回の人生もきっと後悔はなかったはずだ.
早すぎる死を悼む気持ちはあるが,さわやかに力強い風を残して,誇り高く去っていかれたいう感じがする.
ただ,最初の脳梗塞のあとにお見舞いにうかがったとき,「今回は,予定していたヨーロッパ旅行をキャンセルしてしまいましたが,私は,まだ,あきらめてはいません.治ったらきっと二人でいきます」と,おっしゃっていた奥様の口惜しさを思うとつらい.仕事に情熱を燃やして働くだけ働いて,逝ってしまった夫.残された者の哀しみの深さは計り知れない.
飼い犬の死,元上司の死...さらにこのところ立て続けに,知り合いの死の知らせを受け取った.
腰痛のつらさ,思うように働けないもどかしさ,おおよそ,私らしからぬ無力で無為な毎日の中,死が身近に通り過ぎていった.
ちょうど1年前,私自身も死を自分ごとととして意識することがあった.それは,不思議な感覚だった.なんだか自分と自分以外のものとの境界が薄くなっていくような,透明感があった.
それに対して,夫の憔悴は大きかった.
そのとき実感したのは「死」は,去っていく人よりも,残された者の方に大きな意味を与えるもののようだということ.
今,自分が見送る側に立ってみて,「死」は,愛する者への最後のプレゼントだと思いたい.
どんなにつらくても,残された者は,それを受け取らねばならない.
そして,嘆き,怒り,悔やみ,振り返り,叫び,涙にくれ・・・その果てに大切なものを再発見し,また自分の「生」を生きはじめるのだろう.
そう思いたい.そう,思って,生きていきたい.
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