NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2003
07,23
10:30
友がみな,我よりえらく見ゆる日よ 1
CATEGORY[未選択]
「NAGIちゃんちって,よう息子とけんかするなあぁ」
帰ってきた夫と,息子が喧嘩したことを言うと,Yさんにあきれられてしまった.
「そういえばYさんは息子とけんかせんよね.どうして?」
「・・・うちは私がこんなんじゃから,息子の方ががまんしとるんよ」(体操教室を主宰する一方で,子ども達のこころとからだの問題に取り組んでいるYさん.自分の人生を生ききっている母を見て,息子は自立したんだ)
「Sさんとこは,二人とも男の子でしょ.どうなん?」
「えー,うちはあんまりしゃべらんからけんかにならんのよ.食事に下りてきて食べたら自室に戻るもん」(物静かで聡明なSさん.大人としての対応が子どもに信頼を生んでいるのだろう)
3人とも高校から大学といった年頃の息子を持っているが,聞けば聞くほど,我が家の幼稚さがはずかしくなってくる.
今回の夫と息子の大喧嘩はどう見ても息子が悪い.
「お前が悪い!」で一件落着すればコトは簡単なのだが,思春期の息子にどうにかしてこちらの気持ちを伝えたいと思ってしまうので,よけいむずかしくなる.
こういうときは,友人から送られてきたメールに,カルル・ギブランの詩「あなたの子どもはあなたの子どもではない・・・」があるのを見つけてはっとしたり,ドラネコ座の上演ビデオから流れてくる,高校生の歌「変わりたいけど変われない チグハグだらけの感情」の1節に息子の気持ちを重ねたり,感覚すべてが1点につながっていく.
竹内敏晴さんに言われたことば「子どもはまったく別な生きもんだから,伝えようとするのがムリ」を思い出す.「待つしかない」んだよねえ.
いっそ下田治美さんみたいに「獅子がわが子を崖から突き落とす」式でいってみようかなんて気になったりもする・・・.
想いをめぐらすうちに,混乱してしまって,情報の中にかえって自分を見失っていく・・・.
やっぱネ,結局,私流でしかやれない.どこかで教わった対処法は参考にはなっても,「使え」ない.母として我が子の発する信号を精一杯見て聞いて,そのつど,自分自身として対応していくしかない.それがどんなに「うまくない」対応であっても,そういう未熟な親を見せるしかない.
あーあ,親として試されてるなぁー.
私以外のお母さんがみな,賢く思える・・・.
「友が皆,我よりえらく見ゆる日よ」だな,当分は.
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2003
07,18
10:31
父の思い出
CATEGORY[未選択]
父が79歳の誕生日を迎えた.
7年前,父はガンの手術で生死の境をさまよった.術後も何度も死のふちを覗いた.それが,今日まで生きてこられたのは,本人の悪運の強さもあるだろうが,家族の献身的な看護があったからだと周囲の人は言う.そのことは,父も周りの人たちからよく聞かされているようだ.
しかし,だ.父はいっさいそれを認めない.「夫や父である自分を看病するのは当たり前のことで,感謝というほどのこともない」と言ってのけ,飲酒・喫煙・偏食を改めることなく,わがまま放題に生き続けている.我が家は戦前の家父長制がまだ生きているような家で,父は,ものすごく自分本位な人なのだ.
こういう夫だから当然,母との夫婦仲もあまりいいとはいえず,私が子どもの頃から今にいたるまで,けんかが絶えない.これで50年余りよく夫婦をやってるもんだ.
確かに,子どもの目から見ても,仕事をするか,自分だけの遊びをするかしかない人だった.昔はこういうタイプの父親は珍しくなかったらしいが,それでも友達のお父さんの中には「マイホームパパ」もいて,うらやましく思ったりしていたものだ.
ただ,そういう関わりあいの薄さが逆に,数少ない父との思い出を鮮明に記憶させているのかなと思うことがある.
多分幼稚園のときだったと思う.今でも父の自転車の後ろに乗っている自分をはっきりと思い浮かべることができる.
その日は私の誕生日で,前から欲しかった人形を買ってもらいに,町のおもちゃ屋さんに向かっているのだった.
ずっと前から欲しかった人形.寝かせると目が閉じ,起こすとぱっちりと開く.口にミルクビンをさすと飲ませることもできる.近所の友達はいち早く買ってもらっていた.我が家は父の欲しいものが優先される家だったので,ずっと我慢していた.おそらく夫婦仲の悪い両親の間で気を遣ってもいたのだろう.
そんな,欲しくてたまらなかった人形だったから,珍しく父が買いに連れて行ってくれるといったときには,ものすごくうれしかった.自転車のごとごという感触,流れる景色までが,わくわくした胸の高鳴りとともに今でもからだに残っている.
次に記憶にあるのが,高校生のときに父がくれた手紙だ.
当時単身赴任中の父に,生意気な手紙を書いた.文学少女の青臭い理論を振りかざした内容だったと思う.どうせろくでもないお説教しか帰ってこないだろうと思っていたら,分厚い手紙が届いた.文面は忘れたが,丁寧な字で誠実に応えてくれていた.あの父が?と意外な気がした.一人の大人としてまじめに受け止めてくれた――私の中でくすぶっていた,わけのわからない怒りは鎮まっていった.
あまりあったかいとはいえない,希薄な,家族関係だったが,父との思い出というと何故かこの2つのことが思い出される.
自転車に乗ったあの日,初めて「父」を身近に感じた.後ろから見た父のYシャツとベルト――思い出すたびにとてもなつかしく幸せな気持ちがわきあがる.
思春期に,きちんと対応してくれたあの手紙,たったあれだけでしかなかったけれど,あれで,父は「父」として私の中に存在しているのだろうな・・・
親子の絆にそう多くのものは要らないのかもしれない.こころの奥までしみこむ「とき」が一瞬でもあれば,それでOKなのかもしれない.
ただし,今でも実家に行くと,わがまま自分勝手な憎たらしい爺さんで,腹が立つことが多いけどね.
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2003
07,09
10:31
戦いすんで・・・
CATEGORY[未選択]
春から3ヶ月間ほど,息子と衝突することが多かった.
衝突の原因は,いつも,彼の生活面でのいい加減さを私が注意するところから始まった.それに対して息子はことごとく反発してくる.私としては正当なことを主張しているのだから,なぜ反発されねばならないのか納得がいかない.繰り返し,指摘する.また反発する.そのうちに声高に言い合う結果となっていくのだ.
この状態を見ても夫は「生活の中での基本的なことが自立的にできないのは,お前が甘やかして育てたからで,いまさら批判してどうする」と言って,知らん顔を決め込んでいた.友人(男性)に愚痴ると「あなたみたいに『強い』母親が正義を振りかざして立ちはだかると,かえって男の子をダメにすることがある」と反対に諌められもした.
でも私は納得がいかない.
悪い事は悪いし,すべきことはしなければならない,のだ.親が教えなくて誰が教えるというのだ.けれど悲しいかな,未完成の親は,きっと伝え方がまずいんだろう.反発されまくりで,こっちも切れまくり.こうして息子との殺伐とした関係が続いていった.
まあ,私も退かないけど,息子も頑固だよね.どこからこれだけの反発,反論のエネルギーが出て来るんだろう,この根性を勉強に使えばいいものを,なんてあきれ,そのうちこっちの方がいささか疲れてきた.
とともに,もうあきらめようか,息子がいつの日か自分でわかるときまで,親は,そうなることを祈り「待つしかない」のだと,思うようになってきた.
そして,6月のある日曜日,ぴりぴりした関係が続いていたなかで,もうこれで「言い収め」という気持ちで,短く,気合を込めて,親として息子に願うことを伝えた.その日は「養老孟司講演会」に行く予定だったので,言った後,頭を冷やす時間があってちょうどいいと思ったからだ.
そして出かけた.
養老さんのお話はとても興味深かった.内容もだが,この日の私は,ちょうど息子との長いバトルに一区切りつけようという気持ちになっていたときだったからだろう,養老さんという,自然で自由な発想の持ち主の存在自体がありがたかった.
彼のことばに耳を傾けているうちに,その自然さがここちよく,「こうあるべき」の項目がどんどん減っていって,自分が楽になるのを感じた.
すっかり心が軽くなって,再生したような気分になって家路についた.ドアをあけると,私のその気分に呼応したかのように「おかえり」という息子の大きな声.
あれれっ? 彼もまたどこかの段階で,一皮向けたのか・・・.
「ただいまー」 何日ぶりかで,心から応えた.
息子と私の,長かったバトルの月日は,その日で終わった.
以来,ちょっと「大人」になった母と子がいる.
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2003
06,29
10:32
東京温泉物語
CATEGORY[未選択]
仕事で東京に行っていました.
先週は過密スケジュールで,体がもつかな?これで出張に出て大丈夫かな?と思っていましたが,仕事も順調に片付き,かえって元気を取り戻しました.
仕事のあと,東京にいる家族と,銀座で待ち合わせしました.
いつも上京したときはみんなで会うのですが,今回は,講義をサボってロスに遊びに行っている次女を除いて,夫,長女,私の3人です.
雑踏の中から長女がすうっと姿を現し,私は最初ちょっとテレます.どうしてなのか子どもと久しぶりに会うとき,うれしさとテレとが交錯して,何を言っていいのか,とまどってしまいます.
3人で,「どこ行く?」とか相談しながら,汐留サイトからお台場へとゆりかもめに乗って,何の気なしに「船の科学館」で降りました.ちょうど北朝鮮の工作船の展示をしていました.
家族でどこかに行くとき,以前は,夫は自己主張のかたまりでした.今回みたいに当てどなくぶらぶらと歩くのなんか,一番に文句を言っていたのに,今日は穏やかに付いてきます.
長女の発案で,その先の「大江戸温泉物語」に入ることにしました.
ここは一応温泉なのですが,「千と千尋の神隠し」の湯ばんばの湯治場みたいな造りをしています.ちょっと凝ったヘルスセンターてところでしょうか.中は江戸の町が再現されていて,浴衣を着て歩きます.
何年かぶりに長女と温泉に入りました.
ゆっくりといろんなお風呂をはしごして,出たあとは食事して土産物屋を見て回りました.すっかり大人になった長女ですが,みやげ物を見て回っているときは,子どもです.
二人で「きゃっ,かわいー」とか「なにー?これぇー」とか言って回っている間,夫はあとからついて来ます.
自分のペースに家族を合わさせる人だったのに,今は家族に合わせている――これも他の家族から言うと当たり前なのかもしれませんが,我が家では「一大異変」です.
顔色をうかがってハラハラしたり,子ども達との間に立ってなだめすかしたりしていたのが,ウソみたい.
派手な旅行でなくても,こころ穏やかに家族で楽しめたことで,最高の贅沢をさせてもらったように思えました.
幸せだなって感じて,帰りの電車で思わず涙が出ちゃった.
それにしても幾つになっても子どもはかわいいですね.
ロスからサンディエゴまで安旅行している次女,家で留守番の息子,そして目の前の長女――「自分の人生,自分を生きる」なんて言っていても,やっぱり私の幸せは「子ども」だなって思えます.
(今年1月に開いた「竹内敏晴講演会」のまとめをアップしています.ご覧ください.親ばかで言いますが,これは次女がやってくれました)
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2003
06,21
10:32
夫からのEメール
CATEGORY[未選択]
この不思議日記に「欠けたところを受け入れて生きる②」として,子どものころ外見に劣等感を抱いていたことを書いた.
自分の劣ったところを口にするのは,プライドが先行する若い頃にはできなかったことだが,不思議に今は抵抗なく書ける.だから,「醜いアヒルの子」のアンデルセン童話を読んで心に強く刻んだ幼い日の事を,なつかしく思い出しはすれ,もう痛みはなかった.
ところが,ホームページにアップしてしばらくして,夫から電話があった.
不思議日記を読んで,Eメールを送ったから,というのだ.
あれー? 私のしている活動に対しては,斜に構えて「我,関せず」だったのにどういう風の吹き回し? やっぱり大病したことが影響しているのかな? まあどうせ夫のことだから「ブスでも俺のような理想の夫と結婚できてお前は幸せだろう」とかなんとか,イバッテいるのに違いない.
はいはい,読めばいいんでしょって感じで,メールを開けた.
開けてビックリ.夫のメールは極めてマジなもので,「君はブスではない」とか「人生観や実際の生き方から培われる内面が,美となって現れてくるものだ」とか,最大級のほめ言葉が連なっているではないか!
冗談で書いているのかと思って何回か読み直した.
私たち夫婦は,決してこれまでずっとお互いを思いやって仲良くすごしてきた夫婦ではない.
社会人になってすぐ,まだ本当の自立から程遠い状態で,親に背中を押されるように結婚した未熟な夫婦だった.当然お互いの育った環境の影響を強く残した状態で,その価値観の違いから結婚生活はぶつかり合いの連続だった.
それでも私はよき妻,よき母であろうと一生懸命だった.絶えず不満の火種を残しながらも,決定的な破局ということにはならず,未熟な夫婦はお互いを責め,自分の思うように相手を変えようとし続けた.
そんななか長女が思春期を迎えた.10年前のことだ.私は,長女が突きつけてきた「問題」に,いったい私とは,私の人生とはと,深く考えざるを得ない状態に追い込まれた.
私の意識は次第に「夫を変えよう」というものから離れ,自分の内側に向かっていった.人を変えるなんて,それどころではない,自分がおかしいのに.
そして,「自分」というものは家族との関係性の中で,その本当の姿をあらわしてくる.私は,「子どもとの関係」,「夫との関係」,「私の両親との関係」と,次々にブザマな葛藤を繰り返しながら,自分と向かい合う日々を重ねていった.
そうやって,一向に成長しない自分に落ちこむことの方が多い10年が過ぎた.
いつの頃からか,不思議と「変えよう」としても,一向に変わらなかった夫が,勝手に変わり始めた.
関係性ってこういうものかもしれないな.夫との関係は10年前とは少し変わってきたように思う.
一言で言えば,「楽」になったかな.
冗談で書いているのかと思って,繰り返し読んだメールの奥に,ブスで悩んだという妻に対するいたわりの気持ちが見えてきた.夫は変わったのではなく,本質はこういう優しい人だったのかもしれないという気もしてきた.
「君はブスなんかじゃない.世界一の熟成品だ」
結婚25年目にして初めてもらった,無条件の,最大級の,ほめ言葉.
二人の関係性は,今仕切りなおしのスタートラインに立ったのかもしれない.
(あまりにものろけっぽいので,載せるのを躊躇していました.我慢して読んでくれてありがとうございます)
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