NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
アーカイブ
2007 年 03 月 ( 1 )
2007 年 01 月 ( 2 )
2006 年 11 月 ( 4 )
2006 年 10 月 ( 6 )
2006 年 06 月 ( 1 )
カレンダー
08
2025/09
10
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
カテゴリー
未選択 ( 105 )
フリーエリア
最新コメント
Dating vacaville. Black chinese dating in man ohio woman. ( 息子の「花束」 )
from: ArnoldEstagma
2011 / 01 / 18 ( Tue ) 12 : 41 : 13
Dating west brookfield. Add dating online site web. ( 息子の「花束」 )
from: MichalExhame
2011 / 01 / 17 ( Mon ) 23 : 33 : 07
Dating macy. Dating boulder. ( 息子の「花束」 )
from: ViktorianOdoni
2011 / 01 / 17 ( Mon ) 05 : 33 : 33
こんにちは ( 復活!「NAGIの不思議日記」 )
from: 口先父さん
2006 / 02 / 05 ( Sun ) 19 : 41 : 13
最新記事
通信を休刊して [c: 0 ] [t: ]
2007 / 03 / 28 ( Wed ) 21 : 47 : 42 )
自転車を踏んで [c: 0 ] [t: ]
2007 / 01 / 30 ( Tue ) 21 : 07 : 39 )
明けましておめでとうございます [c: 0 ] [t: ]
2007 / 01 / 02 ( Tue ) 14 : 32 : 34 )
竹内レッスン2006③ [c: 0 ] [t: ]
2006 / 11 / 09 ( Thu ) 21 : 42 : 18 )
竹内レッスン2006② [c: 0 ] [t: ]
2006 / 11 / 08 ( Wed ) 20 : 53 : 18 )
最新トラックバック
プロフィール
HN:
NAGI
HP:
えと・おーる
MAIL:
MAIL
性別:
非公開
職業:
趣味:
自己紹介:
QRコード
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
ブログ内検索
リンク
最古記事
子を持って知る「子のありがたみ」[c:0] [t:]
(04/04)
日々感じながら、私は生きている[c:0] [t:]
(04/04)
息子の「花束」[c:3] [t:]
(04/09)
直(じか)に触れる―5月4日の講演会を前に[c:0] [t:]
(04/17)
「欠けたところ」を自覚して[c:0] [t:]
(04/23)
2025
09,13
12:13
[PR]
CATEGORY[]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2002
07,12
10:05
「ようちゃんの赤いバス」
CATEGORY[未選択]
街角で「ようちゃんの赤いバス」を見かけた。驚いた。同時に幸せな気分が満ちてくるのを感じた。
「ようちゃんの赤いバス」―これは、私たちが10数年前に買ったワゴン車につけた名前だ。息子が生まれ、子どもが3人になって、セダンの乗用車では手狭になってきた。車で出かけるたびに、後ろの座席では「当たった」「痛い」「寄るなー」と3人の子どもがケンカを繰り返す。夫と私のイライラは募るばかり。とうとう根をあげて、家族でお出かけ用にと、トヨタライトエースを買ったのだ。
以来、スキーのときは5人分の板を積み、海水浴では更衣室代わりとなり、夜にかけての旅行ではフラットにした座席に布団をひいて3人寝かせて出発した。暑い夏も、雪の降る冬の日も、よく走った。当時の写真にはいつも家族と一緒に「ようちゃんの赤いバス」が写っている。
こうやって私たち家族の思い出を乗せてきた車も、子どもの成長と共にだんだん活躍の場がなくなってきた。9年目の車検のとき、ずいぶん悩んだ。もう廃車にした方がいいのではないかと。そのころ長女は県外の大学、次女は受験期。家族全員で遊びに行くこともなくなり、車庫は手狭だし、毎日の通勤に大きなワゴン車はしんどい。
でも、夫は車検を受けることに決めた。物を大事に使う夫のメンテナンスのおかげで、まだ新車時代の輝きを残している車を、廃車にするにしのびない。どうにか使おう!
しかし、それから1年も経たないうちに、「夫婦2人で3台の車」状態が重荷になってきた。次の車検まで1年あるので、誰かにもらってもらおうということになった。
うちの学区にゴミ・環境問題に取り組んでいる市会議員さんがいる。彼のところなら何台ワゴン車があっても助かるのではないかと思った。電話するとすぐほしいとのこと。
ちょっと待って~。こっちにも「お別れの時間」が必要。
夫は念入りに洗車して、ワックスをかけた。まだまだ光沢が美しい。この車に一番お世話になった息子と並んだ写真をとる。なんたって「ようちゃんの赤いバス」だもんね。
ただの車だけど、私たち家族といっしょに過ごしてきたのだ。夫も息子もしばらく車体に手を当てていた。
「ゴミを乗せたりするんだろうか。すぐぼろぼろになるんだろうな」と夫。最後の1年間消耗品扱いを受けるだろうと思うと、今更にちょっと後悔の気持ちが起こった。
議員さんが取りに来た。「これは今まで私が乗った車の中で一番状態がいい車ですね」
内心、ゲゲッ。さすが、お金のないことでも有名な「市民派議員」。でも、喜んでもらえるとうれしい。
そして、今日久しぶりに、さっそうと走っている「ようちゃんの赤いバス」を見たのだ。車検までの残りの1年を乗りつぶしてくれればいいと思っていたのに、なんと11年目の車検も取ったんだ! マイカレッドの車体もピカーッて光っていた。予想に反して(?)大事に乗ってくれている。
なんだかとってもうれしくなった。思い出の車が元気で走っている!
がんばれ、ようちゃんの赤いバス! そして、ついでに、がんばれ、市民派議員さん!
PR
コメント[0]
2002
07,03
10:06
伝わることば
CATEGORY[未選択]
「もう顔を出さずに済むと思うとせいせいする」
これは、息子が中学3年生の夏、部を引退するときに言ったことばだ。
練習がイヤだったのではない。「顧問で担任」の先生と合わなくて、煮詰まっていたのだ。もちろん息子に非があることは予想できるが、息子は「押しつけ」とか「一貫性がない」とか「相手によって対応が違う」というところに過敏に反応していた。彼のいうことを鵜呑みにしたわけではないが、参観日のとき、担任による道徳の授業を見て、私も「これじゃあ子どもたちに反抗されても仕方ないな」と思った。
そのとき感じたのは、この教師のことばに「内容」がないということ。自分を守るので精一杯という印象だった。板書のときの背中は、外からの声を拒否する壁のように固くなっていた。
その年、私はPTA学年部の部長だったので、学年団の先生方との話し合いをなるべく多く設定した。そして、その場が本音で話す場になるよう努めた。当然担任とも話す回数が増えた。
彼も一生懸命なのは分かった。しかし、クラスは秋になっても依然落ちつかず、彼に面と向かって反抗的な態度やことばを投げかえす生徒も多かった。息子も反抗集団の中にいたようだ。
「先生、子どもは本気を見ぬく目を持ってます。苦しいのは分かるけど、ふんばって!」
12月の3者懇談のとき、いつになく担任は真剣な顔をして息子の前に座った。彼は、静かに、一言一言確認するかのように息子に語った。そのときの担任の全身からは、息子に対峙しようというオーラのようなものが出ていたのを、そばにいて感じた。彼のことばは、多くはなかったが、迫力があった。私は始めて「彼自身のことば」を聞いたと思った。
帰宅してさりげなく息子に尋ねた。「今日のお話どうだった?」
「気がはいっとったなあ。あいつにしてはまともなことを言っとったな」
生意気な口とはうらはらに、息子の横顔も深くなっていた。
その1週間後、学年部役員と担任団との会で、相変わらず一部の反抗的な生徒のせいで、クラス運営がうまくいっていないという話題が出た。
息子の担任が苦しそうに言った。
「ことばが伝わらないんです。自分としてはいろいろ言っているのですが、聞いてもらえないんです。伝わらないんです」
彼は発言の途中、上を向いてことばをつまらせた。目が赤くなっていた。
私は思わず、「先生、本気の気持ちは伝わります。子どもたちは‘本気’がわかるんです。あの反抗的なうちの息子にも、この間の先生のことばは伝わりました。息子は初めて先生を受け入れたと思います」と言ってしまった。涙声になっていた。
そのときの私のことばを担任がどう受け取ったかわからない。
でも、とにかく、それから卒業までの間に、徐々に息子と担任との間につながりができ始めたようだった。
「卒業してもあんな部に顔を出すか!」と言っていた息子が、今、OBとして練習に参加している。元担任とも携帯で楽しそうに連絡しあっている。
「へぇー、先生に電話してるん?」とひやかし気味に言うと、息子はいけしゃあしゃあと答えた。
「ああ、3学期ころかな。おれ、あいつのことは、認めたんじゃ」
「認めたんじゃ」――私の胸に、ことばが、熱く、沁みていった。
コメント[0]
2002
06,25
10:07
私の絶対時間
CATEGORY[未選択]
このところ公私共に忙しく、毎日が「自転車操業」状態だ。
必要最低限のことをこなすだけで1日が終わる。けっこうストレスフルな生活・・・。
ところで、以前、鳥山敏子さんが、講演の中で、どんなに忙しいときでも、ほんの一瞬の「絶対時間」を持つということを話されていた。それは、彼女の場合、道端の草花を見ることだったり、石を集めてきて庭に置いて眺めるといったことだったりすると言われていたと記憶している。
そのときはピンとこなかったけれど、最近、夫が社内報に出す原稿を読んで、彼も「絶対時間」を持っているのだと気がついた。
原稿では、自分の趣味について触れていた。昔は、刀剣とか武具に興味を持っていたが、最近は焼き物、特に「有田(古伊万里)」に興味を持つようになったというくだりの最後、次のように結ばれていた。
町を歩くとき、ふとショーウィンドウに飾られた焼き物に目が行く。そのとき、私と焼き物の間に、他者から切り離された小宇宙が生まれる。仕事の合間の、ほんの一瞬の自分の空間を楽しんでいる今日この頃である。
この「他者を交えない、対象物と自分だけの空間」を感じるときは「絶対時間」じゃないのかなと、思った。そして、それがほんの一瞬であっても、時間が止まり、すべてを忘れて自分だけになることが、毎日の忙しい生活の中で、どんなに大きな意味を持つかということも納得できた。
へぇー、夫は「焼き物」なんだ。じゃあ私は何かなあ、と顧みた。
趣味のガーデニング? それとも絵? 歌? でも、どれも時間が止まったような感じがするほどではないな。私には「絶対時間」なんてないのかもしれない、と思ったりもした。
そんなとき、ふと体感した。
日曜日朝から、持ち帰った仕事をしていた。広いテーブルも資料で覆われ見えないほど。これが片付かないことには月曜日を迎えられないことも、自分で分かっていた。でも、時々テーブルの端っこに置かれた本に目が行く。気がついてみると、私は、いつのまにか、その本に手を伸ばしていた。
本のタイトルは「クラッシュ」。これは、レースで事故に合い、全身大やけどになりながらも、死の淵から生還したレーサー、大田哲也の1年間がつづられたものだ。最初、タイトルは事故の「クラッシュ」を表しているのだと思っていた。でも、最後まで読んで、それは自分の「殻」を割ったときのクラッシュだとわかった・・・。
ちょっとだけめくってみるつもりが、最後まで一気に読んでしまった。ああ、またやってしまった。本の世界に入り込むと、私はすべてを忘れてしまうことがある。
仕事を後回しにしたことにちょっぴり後ろめたさを感じたが、ふと、これがもしかして「私の絶対時間」なのかもしれないと気がついた。
確かに、私は本の世界で筆者と自分とだけになっていた・・・。
現実の時間は止まっていた。
本かもしれないなあ。でも、私の絶対時間は少々長すぎる・・・。
この日仕事が終わったのは、カレンダーの日付がかわってからだった。
コメント[0]
2002
06,22
10:07
ジャケット
CATEGORY[未選択]
10年前から愛用している夏用長袖ジャケット。とうとう襟の部分が擦り切れて糸が出始めた。「もう寿命かな」とハンガーからはずしてみる。
これは、10年前の長期出張のときに、軽くてしわになりにくいということで、ちょっと高かったけれど、買ったものだ。以来、ジーパンにでもスカートにでも、どんな服にでも合って、とても重宝した。
このジャケットには特別な思い出がある。
出張直前、私たち夫婦はささいなことで大喧嘩をした。帰ってきたら「離婚」でも仕方ないと思った。ささくれだった気持ちで出発した。
親の喧嘩の一部始終を見ていた長女はどんな気持ちでいただろう。
小学校にあがる前の息子が、「かあちゃん、行くな」と泣きながら新幹線のドアが閉まるまで追いかけてきた。
出張はとても充実していて楽しいものだった。仕事に対する意欲が膨らんでいくようだった。でもその楽しさの奥にはいつもいつも固いものがあった。
このジャケットを見ると、これを着て、中途半端な表情で写真に写っている、あのときの自分自身の姿を思い出す。
帰ってからの私は、あいまいなままではいられない事態になり、心の奥の固いものと向き合わなければならなくなった。
あれから10年。ジャケットもすりきれるはずだ。
この10年、私たち夫婦は愚かななりに、家族の再構築をしてきたような気がする。子どもたちの目にはどう映っていたのか知らないが、苦しいけれど、無我夢中で生きてきた。そういう意味では生き生きと輝いていた10年だったかもしれない。
いろいろな思いが浮かんできて、ふと気がつくとハンガーを手に時間がたっていた。
いつの日かこのジャケットをただのジャケットとして眺められる日がくるかもしれない。
でも、今はまだこのジャケットを捨てられないんだ・・・。
それより、痛みとなつかしさと、突き動かされる思いとで、この10年の記憶を手放したくない私がいるのかもしれない。
コメント[0]
2002
06,13
10:08
こころをいっぱいに表す表情って・・・
CATEGORY[未選択]
職業柄、毎日20歳前後の若者と接する。
その中で、最近特に気になるのが、彼らの「あいまいな」表情だ。
話し掛けられても、すぐにはきちんとした反応(表情とか、返事とか)を示さない。聞こえていないのかと思って「あなたのことよ」とまっすぐ目を見て、再度声を掛ける。すると多くの場合、自分ごとでないような表情のままで、「聞いている」という意味のことばを返してくる。でも、実際にはこちらの声が「受け止められた」という感じはない。
この、「はっきりしない反応」の数が、ここ数年増えてきているような気がする。
――ことばが伝わらない、なんだか不確かな感じ。こういうと竹内敏晴さんに「ことばは伝わらないと考える方が妥当だ」と返されそうであるが、でも、水の中にいる相手と接しているようなのである。
そういった場合の彼らの表情は、共通している。
とらえどころがなく、目がうつろで、若者特有の、強い光を感じない。
仮面かな、と思う。自己防御の一つかもしれないとも。
その証拠に、親しくなるに連れて、のっぺらぼうに、目が描かれ、鼻が描かれ、といった具合に「顔」が現れてくる。打ち解けて初めて、ひとつのいのちのある「顔」を出してくる。
もしかすると、無意識のうちに、彼らは、相手のことばをしっかり受け止めたりしない方が安全と思っているのかもしれない。聞くでもなく、聞かないでもなくといったあいまいな表情は、向かい合うことを回避するための防衛なのかな?
先日新聞に、映画のプロデューサーをしている人が、こんなことを書いていた。
中国映画を共同制作して、そこで、感じたのは「主人公たちの、自然と溶け込んだ、作為のない、生き生きとした表情」。それに比べて、日本の俳優の表情は乏しくなった。喜怒哀楽がはっきりしない。そして、特に「喜」の表情を見せてくれる人が少なくなった。かっこいい顔はいっぱいいる。でも、思わずこちらも心を開いてしまうような、魅力的な笑顔を見せてくれる人が少なくなった。
思わずこちらも心を開いてしまうような、魅力的な笑顔――そういえばそうだなあ。私たちはいつからこんなに表情が乏しくなったのだろう。心から笑う、そんな笑顔に、いつ出会っただろう。
こんな中で育っていく子どもが「のっぺらぼう」になっても不思議はないのかもしれない。
コメント[0]
≪
FRONT
|
HOME
|
NEXT
≫
忍者ブログ
[PR]