NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2002
06,13
10:08
こころをいっぱいに表す表情って・・・
CATEGORY[未選択]
職業柄、毎日20歳前後の若者と接する。
その中で、最近特に気になるのが、彼らの「あいまいな」表情だ。
話し掛けられても、すぐにはきちんとした反応(表情とか、返事とか)を示さない。聞こえていないのかと思って「あなたのことよ」とまっすぐ目を見て、再度声を掛ける。すると多くの場合、自分ごとでないような表情のままで、「聞いている」という意味のことばを返してくる。でも、実際にはこちらの声が「受け止められた」という感じはない。
この、「はっきりしない反応」の数が、ここ数年増えてきているような気がする。
――ことばが伝わらない、なんだか不確かな感じ。こういうと竹内敏晴さんに「ことばは伝わらないと考える方が妥当だ」と返されそうであるが、でも、水の中にいる相手と接しているようなのである。
そういった場合の彼らの表情は、共通している。
とらえどころがなく、目がうつろで、若者特有の、強い光を感じない。
仮面かな、と思う。自己防御の一つかもしれないとも。
その証拠に、親しくなるに連れて、のっぺらぼうに、目が描かれ、鼻が描かれ、といった具合に「顔」が現れてくる。打ち解けて初めて、ひとつのいのちのある「顔」を出してくる。
もしかすると、無意識のうちに、彼らは、相手のことばをしっかり受け止めたりしない方が安全と思っているのかもしれない。聞くでもなく、聞かないでもなくといったあいまいな表情は、向かい合うことを回避するための防衛なのかな?
先日新聞に、映画のプロデューサーをしている人が、こんなことを書いていた。
中国映画を共同制作して、そこで、感じたのは「主人公たちの、自然と溶け込んだ、作為のない、生き生きとした表情」。それに比べて、日本の俳優の表情は乏しくなった。喜怒哀楽がはっきりしない。そして、特に「喜」の表情を見せてくれる人が少なくなった。かっこいい顔はいっぱいいる。でも、思わずこちらも心を開いてしまうような、魅力的な笑顔を見せてくれる人が少なくなった。
思わずこちらも心を開いてしまうような、魅力的な笑顔――そういえばそうだなあ。私たちはいつからこんなに表情が乏しくなったのだろう。心から笑う、そんな笑顔に、いつ出会っただろう。
こんな中で育っていく子どもが「のっぺらぼう」になっても不思議はないのかもしれない。
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