NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2002
09,17
10:11
ガオ[3]-ガオが来た頃
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「犬は恩を忘れない、そしてただ待つのみ」
この1文を友人からのメールの中に見た瞬間,涙がどっとあふれてきた.職場に置いてあるパソコンだったのに,あたりかまわず,オイオイ泣いてしまった.
私たちが2時間ほど留守にしていた間にガオは意識不明にまでなっていたのだが,不思議なことに,朝居た庭側ではなく,車庫側に来ていて,勝手口そばの車の下で倒れていた.
庭側と車庫側を結ぶ細い通路には,ガオが移動しないように板を立てていて,プロックで倒れないようにはさんでいた.
帰ってみるとその板が倒れていた.
前足しか動かない体で板を押し倒し,勝手口のところまで来て,私たちを待っていたのだ.
しんどい体で苦しかったろう.私たちを,待って,待って,意識が遠のいていったのかと思うとたまらない.
ガオはいつも家の中に入りたがっていた.
自分を犬だと思っていなかったんだ,と今更に気づいた.
なのに最近は,粗相をして大変なので,中に入れることはやめていた.一人いつも外に居て,中で聞こえる談笑をどんな思いで聞いていただろう.
部屋に入れていた頃,家族の顔を見ながら安心して眠っていた様子を思い出す.
「犬は恩を忘れない、そしてただ待つのみ」
周囲の「あんなによくしてやって」という声はもう慰めにはならない.意識不明になってからどんなにしてやったかなんて・・・ガオにとっては意味のないことだ.
思えばガオは我が家にとって大きな意味を持った犬だった.
今から10年前,長女が中三の秋,生後1ヶ月のガオが我が家にやってきた.
前にも「不思議日記」で書いたが,その年の夏,私たち夫婦は壮絶なけんかをした.家の中はギスギスして緊張した雰囲気だった.
今はわかる,こういうときの一番の犠牲者は子どもたちなのだと.でもそのころの私はそんな気遣いをするゆとりもなく,感情の渦の中にいた.
この家庭の雰囲気は,思春期と受験を迎えた長女にとって,特にキツかったと思う.反抗的になり,親子の間のトラブルも増えてきた.
口数が少なくなっていく長女のことがさすがに心配になって,犬を飼うことにした.世話が大変だから生き物は飼わない,とずっと言ってきたのに,長女の心を少しでもほっとさせることができたら,と思ったからだ.最後まで反対する夫を説き伏せて,貰ってきたのは,ひきとり手のなかった,顔が真っ黒の,しょぼくれた子犬だった.
連れて帰っても,ミルクも飲まない,箱の隅でじっとしていた.この犬,どっか病気なんじゃない?と心配していたら2日目から変身したように活発になった.このころから,環境変化に敏感で,臆病で,甘えん坊で,やさしい犬だった.
飼い主の長女は,みんなの反対を押して「ガオ」と命名した.メスなのに変な名前,どうしてこの名前にしたの?と尋ねても,教えてくれなかった.
ガオが5歳半の冬,交通事故で下半身不随となるまでは,長女の高校受験,大学受験の不安定な時期と重なっている.それはまた,私たち夫婦が自分たちの「おかしさ」を自覚して,そこから関係を再構築していく過程でもあった.
おそらく長女はガオとさびしさを分け合っていたのだろう.黙って行動することが多い時期には,いつもガオがお供だった.
私もつらいときは,知らず知らずのうちに,ガオに語りかけてた.「ガオちゃんなあ,どうしてこうなんだろうね.なんでうまくいかないんだろうね」―もちろんガオは答えない.涙がポタポタ落ちてきても,ただ飼い主の顔をじっと見上げるだけだ.
そのころ子どもとの関係をどうにかしなければといろんな講演講座に出席するようになっていた.このことは子どもたちには内緒にしていた.かえって「わざとらしい」と反発されそうな気がしたからだ.
だから,学んできたこと,感じたこと(おかしいのは「子供」ではなく,「私たち」なのだということ)を,夫に話すのは,ガオの夜の散歩の間だった.
いつの間にか,散歩は私たち夫婦の関係を見つめなおす場ともなっていた.ケンカしているゆとりなどなく,歩きながらいつも子どものことを話していた.
そして・・・その間ガオはずっと私たちの傍にいたのだ.
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2002
09,15
10:12
ガオ[2]-苦い思い
CATEGORY[未選択]
4年前ガオが交通事故で下半身不随になってから死ぬまでのことを知っている近所の人たちは「よくしてやったわねえ,ガオチャンは幸せだったわ」と口をそろえて言う.しかし,その言葉を聞くと,私の中に苦い思いがあふれてくる.
確かに,事故のあとの病院での治療とか,看病だとか車椅子の注文だとか,さらには今回の治療や弔い方を見ると,そうも見えるだろう.だけど,お金はかけたけど,実のところていねいな構い方はしてなかったのだ.だって,本当に精一杯かわいがっていたら,今こんなに気持ちをあとに引きずることはないだろう.
私はガオが私たち家族に与えてくれたものの何分の一も返してやれなかった・・・.
ガオの世話は,健常の犬より手間がかかる.毎朝毎晩の圧迫排尿,食事作り(特別に作ってやっていた),散歩も車椅子を装着してから,ガレージや玄関に粗相をしたあとの清掃・・・娘たちが次々に県外に出て,夫までが単身赴任になってからは,これらの仕事はすべて私にかかってきた.息子は何かと理由をつけては,逃れていた.
正直なところ,朝晩忙しく時間がないときは,甘えてくるガオがうっとうしいこともあった.だんだんと義務的にすべきことするだけになっていったように思う.
あんなに人間との時間を切望していた犬だったのに,かかわるのは世話と散歩だけ.庭に放し飼いで,自由に暮らせているのだから,それだけでも,つながれている犬より幸せよ,と心の中で言い訳していた.
考えてみたら,排尿・排便させたあと,ほんの数分相手をすることはできなくはなかったろう.忙しいというのは,ゆとりのない気持ちが生んだあせりに過ぎなかったのだ.
この2年間,ガオの頼りは私だけだったのに.ガオはいつも私を見て動いていたのに.
それなのに,粗相をして下半身を洗ってやるとき,つい乱暴にしてしまう.ああ,また仕事が増えてしまった!―荒れた心が,手に伝わる.うらめしそうな眼をしてすり抜けていくガオ.一瞬にして私は後悔する.ごめんね,汚れるのはどうしようもないのに.でも,またこういったぞんざいな関わりを繰り返してしまうのだ.
特に,ガオがなくなる前,ぎっくり腰になって世話ができなくなっていた.代わりに息子が担当していたが,急にはうまくできるはずもない.
体が弱ってきているのも,よく見ればわかっただろうに,「気」がガオから離れていた.
気づいてやらなかったのだ.
ゆとりができたら相手をしてやろう,今度忙しくないとき遊んでやろう,なんて思っていたが,ガオとの「今度」は永遠になくなってしまった.
一瞬一瞬,明日はないと思えば,人との出会いをもっとていねいでやさしいものにしていけるだろう.あっけなく逝ってしまったガオが私のからだに刻み付けてくれた思いだ.
いろんな思いが浮かんできて「ガオと私たちのこの10年」というところになかなか行き着きません.しんぼうして読んでくださればうれしいです.
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2002
09,12
10:13
ガオ[1]-ガオが死んだ
CATEGORY[未選択]
我が家の飼い犬,ガオ(メス,柴雑種,10歳)が死んだ.
昨夜,といってももう,今日(12日)になっていたが,12時を少しまわったとき,息が止まった.気がつかないくらい,静かに,旅立っていった.
「不思議日記」にガオのことを書いている今,急に雨が降り始めた.
チェストの上には,火葬場から持って帰ってきたばかりの,ガオの遺骨(骨壷に入っている).水と,線香と,生前使っていた首輪.
9月7日に10歳の誕生日を迎えたばかりだった.
4年前の交通事故で下半身不随の身ではあったが,ついこの間まで食欲旺盛で元気に吠えていたのに.
ガオは,4日前の日曜日,息子と私が2時間ほど留守にしていた間に,意識不明状態になっていた.
目はかっと見開かれ,前足はまっすぐに伸びて,ひきつけたような感じ.呼んでも答えない.水も飲まない.好物のチーズを持っていっても反応しない・・・.
ただごとではないとわかった.
すぐにかかりつけの動物病院に電話したが,あいにく日曜日で不在.やっと,日曜診療してくれる病院を見つけたが,4時の診察時間まで3時間あまり,なすすべなく待った.
病院に運び込んで,緩和剤注射,点滴,導尿を受けた.
「瞳孔がピンホールみたいに狭くなっています.回復はむずかしいですね」と言われた.
それから4日間,ずっと意識のないままだった.毎日,かかりつけの近くの病院に連れていって,点滴とビタミン注射を受け,指示されたように氷で体を冷やしていった.
治療のおかげか,息遣いはやわらかく,安らかな顔をしてなんだか気持ちよく寝ているような状態だった.「もう脳はだめになっています」と言われ,回復できないことはわかっていたけれど,脱脂綿で水を含ませ,身体を冷やし,「ガオ,ガオ」と呼びかけていった.
手があくと考え込んでしまう・・・. 急にこんなになったのはどうしてだろう,1週間前から糖尿病食を食べさせていたが,これがまずくて,食が細っていたせいかしら,熱中症のようだと獣医さんは言うけど,庭を自由に動けるようにしていたし,そんなに暑い中にいたわけでもない,膀胱炎から尿毒症を起こしたのかしら,・・・と原因を考えても,はっきりしたことはわからない.血液検査や尿検査のデータを見ても,獣医さんにもはっきりとはわからないということだった.
勝手な思い込みかも知れないが,ガオは飼い主がぎっくり腰で大変なことを感じ取って,あの世へと遠慮して退いたのかもしれない.
この犬は,人の気持ちがよくわかる,敏感で,気遣いのできる犬だったから.
水曜日には,東京から長女が戻って来て1日看病した.もともとの飼い主とお別れができた夜,息をひきとった―これも,この犬らしい,と思う.
激しく振っていた雨がいつの間にか止んだようだ.
ガオを飼った10年間に心が向いていく.我が家にとって「激動の転換期」を共に過ごしたのだ.
この世に居なくなった今,よけいありありと,ガオの顔が浮かんでくる.私をじっと見つめる目を思い出す.
ガオがこの家に居ないというと思うたびに,力が抜けていく.家族が死ぬとこういう感じなのだろう,きっと.
たかが犬のことに,とばかばかしく思われるかもしれませんが,当分,「不思議日記」は,ガオと我が家のこの10年の話を書いていこうと思います.
よろしかったら,おつきあいください.
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2002
09,05
10:13
ぎっくり腰は「天使のいたずら」?
CATEGORY[未選択]
8月末をめどにしていた仕事が2つおおかたできあがったかなというとき,ぎっくり腰になった.先週の金曜日のこと.それから昨日まで5日間,寝込んでしまった.
土曜日に針灸治療を受けたが,次の日は寝返りも打てない状態になり,布団から立てない,トイレ・入浴は難行苦行(詳しくは,恥ずかしくて言えないけどね),ずきずきと一晩中痛んだ.
月曜日,火曜日は少し痛みが引いたが,ずっと横になっていた.
治療をしてくれたNさんの言葉を思い返した.
「ギックリ腰は西洋では”魔女の一撃”と言うらしいけど、僕は”天使のいたずら”だと思っている。仕事のめどがついて差し障りのないころに来たから,ちょうどそのタイミングを見計らって動けなくなったわけ。これは身体に意識を向けて,休養(骨休め)が必要だよ、ということ。少し人生を見直すようにという警鐘じゃない? 今は痛いだろうけど,あとできっとよかったと思うことになるよ」
そのときはつらいことでも,後になってみると起こってくれてありがたかったことというのは,よくある.たとえば,子どもとかみ合わず,苦悶の中にいたころは,つらくて,こんなに仕事も家事も子どもの世話も一生懸命やっているのに何故?と憤りさえ覚えていた.それが,今はあの苦しい時期があったからこそ,人生がよりおもしろく味わいのあるものになってきた,と実感し,心からありがたく思っている.
まあ,あれと同じで,つらいことにも大事な意味があるんだ,と思うと,少しは腰痛もがまんできるような気がした.
でもそれだけではちょっとつまらない.「後々になって」よかったと思うこともいいけど,「今」腰痛になってよかったね,を探してみよう!と布団の中で思いついた.
①意外と息子が役に立たないことがわかった.これはよくないことみたいだけど,そうではない.これを機会にびしびし鍛えて,犬の世話をはじめ,家事を容赦なく担当させることに決めた(ラッキー)
②痛みを紛らわせるため,昼間からTVを見ていたら,ショーンコネリー主演の映画をしていた.Five Days One Summer というタイトル.スイスを舞台に,登山のシーンが出てくる.ちょうど,友人から勧められていた「なんで山のぼるねん」(高田直樹著)を読んだばかりだったので,ぴったりの映像.他愛もないことだけど,なんか得した気分になった.
③ほとんど仕上がっていた仕事について,メンバーの中で意見が分かれ,大幅な修正が必要という事態になった.いつもなら統括責任者の私が背負っただろうことを,出勤できないので,メンバー同士で片付けてもらった.私はメールでやりとりするだけ.これまで,人に仕事を「預けてしまう」のって,なかったこと.ずるいかもしれないけど,楽して得しちゃった!
④よく眠った.慢性的睡眠不足だったのが,贅沢によく寝た.ぎっくり腰がなかったら,2つの仕事が仕上がってもそのまま次の仕事に突入していただろう.
ここまで考えていたら,Nさんの言うように,なんだか本当になるべくしてなった「ぎっくり腰」だと思えてきた.
自分では,日々,自在にやっていると思っていたけど,身体が悲鳴を上げるってことは,やっぱりどっか無理してたのかな.腰はいろんなストレスを最終的に受け止めるところらしいから.
痛いことを除けば,ぐうたらに,わがままに,いい加減に過ごしたこの5日間は,この夏一番の贅沢だったかもしれない.
いつの間にかいろんなものを抱え込んで,手放せなくなっていたかな?
どこかで「できる自分」に合わせようとして不自由な生き方をしていたのかな?
心の奥の鏡をのぞいてみよう・・・.
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2002
08,28
10:14
鳥山ワークに参加して
CATEGORY[未選択]
2年ぶりに鳥山敏子さんの「ワークショップ」(於・美作賢治の楽交)に参加した。
私自身以前岡山で鳥山さんのワークの主催をしていたのだが、あるときからそれがとてもしんどく感じられるようになった。そのころ津山に鳥山さんのワーク実行委員会ができて、そちらでも開かれるようになったのをきっかけに、私は、ワーク活動を止めたのだった。
私が鳥山さんのワークショップを初めて体験したのは、もう5年前以上前のこと――頭ではわかっていたつもりの、子どもの悲しみが、初めて心をつき通した。衝撃的な体験だった。ワークに参加するたびに涙が流れ、固い殻の一枚一枚がはがれていくようだった。
夫との間でうやむやにしていた思いも一気に噴出し、くやしく悲しく、さらには、もう昔のことと思っていた、子ども時代のさびしさまでが蘇ってきた。
ワークはつらく厳しい体験だった。でも、その痛さは、私にとってある意味心地よかった。もやもやしていたことの輪郭がはっきりしていく心地よさといっていいかもしれない。はっきりしてくると、その先に今までよりもっと納得のいく自分が見えそうな気がした。
ただ、ワークを重ねていくうちに、もっと感受性の鋭い人や、心の弱い人や、過去に負った傷の深い人が、そのつらさの中に飲み込まれてしまいそうな場面にも出会うようになった。
飲み込まれそうに見えても、その泥沼からいつかは這い出し新しい自分を再構築していけるのだ、と思おうとした。でも次第に耐えがたい気がしてきて、私はワークの主催をやめたのだ。
今回1コマだけだが久しぶりにワークに参加してみて、印象がずいぶん違った。
ワークの内容は非公開なので、ここに書くわけにいかないが、はじまる前に、鳥山さんが語ったことばがある。
「考える」ということを「感情」や「思い」から切り離して徹底的に突き詰めていくということを、私たちは日頃からあまりやりませんね。感情や思いももちろん大事なものですが、物事をあいまいにせず、流されず、今何が必要で、自分は何をしなければならないか、どんな自分を創っていきたいのか、徹底的に「考える」ことも大切です。もちろん、泣いて自分の抑えていた感情を解放してやることも必要です。でも、いつもどこかに自分の「芯」を保っていかなければ大変です。それが考える力なのです。考えるということをもっと徹底的にやってみてもいいのではありませんか。
さらに、話は次のように続いていった。
物事をつきつめて考えるためには、小さいときからそういう訓練が必要でしょう。しかし、日本の社会にも学校教育にもそういうことを意識化する場面はなく、むしろ日本の社会ではとことん考えるような人は敬遠されます。日本人のメンタリティの中に、冷静にとことん「考える」という土台はなく、多くは適当なところで思考の中に感情が入り込み、「なんとなく」流され、ふわふわと生きていくことが多いのです。外交をみても、環境問題を見ても、海外と接触する場面では、徹底的思考の力の欠如が浮かび上がって見えますよね。
鳥山さんがワークの冒頭で「感情」と「思考」ということをはっきり分けて説明されたのは新鮮だった。苦しみの中に引きずり込まれそうになるときも、自分の中に1点動かぬ「芯」を保って思考していく姿勢について、こんなにはっきりと示唆されたのを聞くのは初めてのような気がする。
そして、もう一つ印象に残ったのは、どんな激しく悲しい場面においても、鳥山さんの顔に、揺るぎないやさしさと温かさがあったことだ。
時間がゆっくりと流れていった。
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