NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2002
08,07
10:02
いのち輝く
CATEGORY[未選択]
NHKラジオ英会話で長年講師を務めていた、早稲田大学教授のK.T.先生(了解を取らずに載せているので、イニシャル表記のみ)をお迎えした。数十年前テキストの表紙で見た顔しか知らないけど、ままよどんなにかなるわ、と岡山駅西口の改札口で待っていると、短めの白髪頭、エンジ色のネクタイに薄いグレーのスーツといういでたちの、さっそうとした紳士が現れた。昔はもうちょっと軽く、野暮ったかったような印象があるのだが、かっこよく年齢を重ねられたって感じ。
往年のファンの中には、新聞の案内を見て「英語の上手な学習法」のようなことについて話されるのかと思って来られた方もいたようだった。でも、タイトルは「いのちはぐくむことば」。
T先生は、心技体という言葉があるが、「いのち」をその中に加えなければならないと思う――という話から入っていかれ、盛んに「いのち」「魂」「生命力」ということを強調された。なんだか、「ラジオ英会話の有名講師・K.T.」の話じゃないみたいだなあと思って聞いていた。
そのうち、娘さんが不登校になった時期があったというようなことをもらされた。「方向性」が変わってきたのは、それが原因なのかなと思った。子どもの問題は親を変える最強の力だ。以前のヘラへラッと笑った(ごめんなさーい)英会話の表紙の顔が、深く渋く変わっていたのは、年齢のせいだけではないのかもしれない。
そんなお話の中でのあるエピソード。
十年程前から早稲田の学生も無気力というか、あまり熱心に勉強しなくなった。受講学生の1/3は遅れて入ってくる。講義をしているとまた一人、また一人と、入ってくる。そのつど、学生に出席票を渡さなければならない。「またか」とうんざりしながら横向きに片手で渡す。「はいはい、はよ座れ」って感じ。
また、眼を輝かせて勉強する学生はほんの一握り。後ろの方では週刊誌や新聞を読んでいる者もいる。先生の心は学生を責める気持ちでいっぱいだった。
でもあるとき(このころ娘さんが不登校で、接し方に悩んでいた時期らしい)、学生の態度によって、気持ちが揺らぐのは「自分のいのちが自分として輝いていない」「左右される、つまり他者の行為に依存しているのだ」と気づいたそうだ。
そのときから、あくまで自分は自分としていのちを全うしていく姿勢を持とうと思った。具体的には、学生が遅れて教室に入ってくると、そこまで歩いていって、礼を尽くして、出席票を両手で渡し、席につくまで見守った。学生が入ってくるたびに授業を中断して毎回手渡しに行った。相手がどんなに無作法でも自分は自分の礼を尽くし、自分の生きざまを示すのだと決めたそうだ。
数ヶ月もしないうちに遅刻者はいなくなり、授業を聞く態度も真剣になったそうだ。自分の生き方、いのちを見せるという気概を持つと、それは必ず伝わるという体験をされたわけだ。
さらに「いのち輝く」というのは肉体の生死の状態には関係ない、というようなことも話された。死後も残った人々の心の中で「いのちを輝かせている」人もいるという。
そういえば以前、コンゴから来たキリスト教の神父さんに同じようなことを聞いたことがある。
聖書では、イエス・キリストは死後弟子たちのもとに「よみがえった」とされている。彼は、それは奇跡でも何でもなく、イエスが人生を生ききったことによって強烈な思い出を生者に残したからで、たとえば、イエスとの思い出の場所にさしかかると、そのときの様子がまざまざと浮かび上がってきて、それが「目の前にイエスが降りたって私にことばをかけられた」ということになるのだと、解説していた。バリバリのローマカトリックの神父がそういう分析をくだしたので驚いた覚えがある。
生きていてもいのちの光彩を放っていない人もいれば、死してもなお生者の心の中で生き生きといき続けている人もいる――。
T先生の目に宿る強い光を見て改めて「自分を生ききる気概」というものを実感した。
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