NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2006
10,16
00:34
子育てって
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昨日の秋祭りで子育ての頃を思いだした。
あの頃に戻れたら、なんて思うことも多い。
もっとひと時ひと時を大切にして・・・とか、こどもの気持ちに寄り添って・・・子育てをやり直したいなんて思ったりする。
みんなはどうなんだろう・・・。
活き活きと充実した子育てをやりきった人も多いだろう。
後悔はしない、過去を悔いるということは、反面、今の我が子のありようを否定することにもつながりかねないから、っていう人もいると思う。
私の場合、今の我が子に不満はないんだけど、私自身を許せないってところがある。
数年前、子育てのことを実母と話していたとき、こんなことを言われた。
「あなたはいいわよ。勤めがあるということはある意味、楽をしてるのよ。専業主婦で24時間ずっとこどもにまとわりつかれていることを考えてごらん。友達は、若い頃に戻りたいっていうけど、わたしはちっとも思わない。もう一回子育てしなければならないなんてまっぴらよ。今の方がよっぽどいい」
母は言いながら、子どもにまとわりつかれてそれを引き剥がそうとしてもはがしきれないってところを身振りで示した。なにか汚いものをひきはがそうとするような苦痛に満ちた動作だった。
ショックだった。母が「あったかーいかあちゃん」でなかったことはずっと感じてきたことだが、さすがに本人の口から言われると、ツライものがある。
私が一応恵まれた環境にいて、なんで子供時代さびしかったのか、こういうことなんだよなと思った。
ところが当の母は自分はちゃんと子育てをしたと思っている。最近の少年事件ニュースに「近頃の親は・・・」と批判し「教育論」をぶつ。
そんな母に対して、私はこの年になっても「反抗的」だ。私たち親子のあいだの気持ちのすれ違いは年月によって癒されるどころか、いまだにぐずぐずと傷口を開けている。私は母のいう言葉を否定し、その自己中心性を指摘する。ホントはこういう事を言う自分がいやなんだけど、母の言葉を聞くと、つい言ってしまうのだ。
私も懲りないばか者だわ、いい年をした母親を痛めてどうする・・・情報量も社会的経験も太刀打ちできない相手になっている娘に対抗してくる母をあわれとと思って受け入れるべき、何度思ったことか。でも、私の中にはきっとまだ「さびしい子ども」がいて、どこかで、母が「申し訳なかったね」と言ってくれるのを待っているんだろう。
子としてのわたし、母としてのわたし。
痛さが違う・・・。母としてのわたしの痛さは私の生を前向きにしてくれる。
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