NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2003
01,18
09:40
子どもは「自分で」生きるのだから
CATEGORY[未選択]
「子どものこと心配して思いやっているなんていったって,結局のところ,親なんて自分のためにしか動いてないやね.あなたみたいに外で仕事している人は自分の仕事に打ち込んで,それで充分じゃないかな.その上子どもに構って,どうにかしてやろうなんて・・・子どもは全く別な生き物なんだから」
講演会のあと夕食のとき,竹内敏晴さん(1月4,5日岡山にて講演)が私に向かってこういうようなことを言われた.
講演の質疑応答のとき,私は「子どもに伝えたい,親として伝えたいということがあっても,ことばが通じないときがある.ことばとは,本来そういう非力なものなんだと,納得しようと思っても,やっぱり,伝えたいという思いがあって,四苦八苦しています.竹内さんはお嬢さんとのコミュニケーションでどう感じられているのでしょうか」というようなことを尋ねていた.
そのとき竹内さんは「この子と自分はどこかでつながっていると感じながら,見守るしきゃないんじゃないかと,ぼくなんか思っている」と応えられた.
その応えを,さらにまた夕食会の席で私に向けられたのだ,と思った.
私は,奥の奥まで見透かされたような気がした.
「何か親として大切なものを伝えたい」といった,一種「美化された思い」の奥にある,自分でも気づかずについていた「うそ」を,ほれっと手渡されたような気がした.
「子どものために伝えたい」――「何言ってるのよ.結局,自分のためじゃない」・・・
子どもを授かって以来,ずっと子どものためにがんばってきた.
そのがんばりが子どもを息苦しくさせていると気づいてからは,自分の生き方を見つめなおそうと,やっぱり「子どものためにがんばって」いた.
違う種類のがんばりだけど,「子どものためにがんばっている」こと自体,うそくさいという気がする.
病気のお子さんを心配して,傍から見ても痛々しいくらい,一生懸命がんばっている友人がいる.その友人がその子から「お母さんは心配してるふりをしているだけ、本当は心配なんかしてくれていない」とか「自分がつらがってるだけじゃが」と言われたと,書いていた.
彼女は,文章の最後を次のように結んでいた.
生きるのはこの子なのに,私は彼女に生きていてほしいと思っていたのかもしれない。親だからといって彼女の命をどうにかできるものではない。親として,生きてほしいと思うのなら、生かそうとしてはいけないんだ、と感じた。
「伝えよう」「生かそう」というところに,気づかぬうちの,親のエゴがあるというのか.
相手が受け止めたいと思えば伝わるし,生きたいと思えば生きるのだ.子どもの人生は,親がどうこうできるものではない,子どもが生きるのだから・・・竹内さんは,そういいたかったのだと,思った.
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