NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2002
07,24
10:04
ひろくん[2]
CATEGORY[未選択]
劇の発表会から卒園までの間に、ひろくんは芽吹いたばかりの若芽のように、急激に成長していった。話すことが楽しくてたまらないふうで、送迎のときに「ひろくん」と呼びかけると、なんやかんやとおしゃべりしてくれるようになった。
最初は難色を示されていた地域の小学校への入学も、最後の面接ではOKが出た。ひろくんは仲間と同じ小学校に、ただし、棟の一番奥にある「障害児学級」に入ることになった。
「目も見えず、耳も聞こえず、一生この状態で」という医師の診断は一体なんだったんだろう。おそらくは切り取られた脳の周囲でシナプスがどんどんつながっていって代償機能を持つようになったのだろうが、ひろくんのことを思うと、「医学」の常識などまだ浅知恵にしかすぎないと実感させられる。生命の、底知れない神秘に謙虚な気持ちになる。
20日、講演会「子どもが子どもとして生きるために」と、Dreaming Tomorrow の子どもたちの歌とパーカッションが、無事終わった。
「手をつないで こんにちは みんなに会えて よかった 手をつないで こんにちは あいさつしよう」と歌いながら子どもたちの紹介が始まる。
私も思い切り歌った。あなたに会えてよかったという気持ちが身体にあふれた。
ひろくん、あなたに会えてよかった。でも、その気持ちを伝えないままだったね。
次女が小学校入学して1年くらい経ったある日、私は、保育園児の息子と公園の砂場で山を作っていた。しばらくすると男の子が「手伝おうか」と言ってきた。見上げると、ひろくんだった。息子と一緒に砂を高く高く積み上げ固め、トンネルや川を掘っていった。気がつくと夕日が沈みかけていた。あたりを見ると、離れたところに、ひろくんのお父さんが立っていた。ずっとそこで見ていたらしい。お父さんは保育園にはあまりみえられなかったので、私が同じ保育園の母親だとは気づかなかったろう。
「さあ、もう帰ろうか」とお父さんはひろくんに言った。もっと遊びたい、とせがむのを、静かに言い聞かせ、私たちの方に向いて「遊んでくれてありがとう」とていねいにお辞儀をされた。
一瞬、胸をつかれた。
振り返り振り返りしながら帰っていくひろくん父子に、息子と「バイバイ」をしながら、思った。遊んでもらったのは息子の方なのに、一緒に楽しんだのに。
あのとき私はどう言っていいのかことばがなかった。「遊んでくれてありがとう」―この言葉に、うかつに触れることもできない、悲しみの歴史を感じたからだ。ただ、心のなかには「一緒に遊んだんだよ。お礼なんて言わないで」ということばが残った。
次にひろくんを見たのは、砂場での再会から数年後のこと。
小学校での懇談会を終えて川べりの小道を歩いて帰っていると、数メートル先を母子づれが歩いていた。やはり懇談帰りだろう、細い道で追い越せないので、離れて歩いていると、なんだかケンカをしているらしい。お母さんが、並んで歩いている、自分と同じくらいの背の息子を、怒って小突いている。息子の方も大きな声で反論している。
あれっ? ひろくんじゃないかな。
からだはまだ少し傾いて揺れてはいるけれど、後姿は前よりずいぶんしっかりしてきた。けんかをしている本人たちにとっては、それどころではないだろうけど、私はなんだか、うれしかった。
いつも下を向いて悲しそうに心配そうに、壊れ物をさわるように息子を見ていたお母さんが、大声張り上げて息子を叱っている。息子も負けずに応酬している。
ひろくんはもう「かわいそうなひろくん」じゃなくなったんだ。
お母さん、もっとやれやれ! ひろくんも負けるな。
彼にまつわることをよく覚えているのは、逆に言えばそれだけ会う機会がなかったということ。ご両親がおとなしい方だったし、父母間の交流の場もなかった。
ひろくんは、学校の一番奥の教室で数人の仲間たちとゆっくりと成長していったのだろう。あの頃は分からなかったが、今、障害児学級がなぜ一番奥の端っこの教室なのかという疑問を持っている。学校の方針? それとも親の要望?
その次、そして最後に、ひろくんを見たのは、小学校の卒業式の日だ。
卒業生全員が名前を呼ばれ、返事をして、壇上にあがり、校長から卒業証書をもらう。次々に子どもたちがあがり、わが子も無事すみ、もう終わりかなというとき、ひろくんの名前が呼ばれた。ひときわ大きい「はい」という返事。そして、すらっと伸びた背、ほとんど揺れない足取り。片手で証書を受け取り、降りていく横顔は、まっすぐ前を向いていた。
「お医者さんから、この子は一生目も見えず、耳も聞こえず、知能も発達せずに生きることになります、と言われたのです」 悲痛な声がよみがえり、遠のいていった。
のどの奥が熱くなった。
ひろくん、卒業おめでとう。
わが子が地元の中学校へ進まなかったので、その後ひろくんに会う機会はないままになっている。今、ひろくんは20歳。どこかでゆっくりと彼自身の人生を歩んでいるのだろう。
口に出さないままに終わったけれど・・・ひろくん、ありがとう、あなたに会えて、よかった。
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