NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2003
01,11
10:15
Sさんはまた一歩踏み出す
CATEGORY[未選択]
「えと・おーるつうしん」に4年前から寄稿してくれている,Sさん(大学3年生)から,昨年末メールが届いた.「えと・おーるつうしん」から卒業して,自分で通信を発信することにしたというのだ.彼女から頼まれた,第1号に載せる原稿を書きながら,私の思いは10年前に飛んでいった.
10年前,私は,順調に思えていた子育てで初めての「壁」にぶつかっていた.思春期を迎えた長女の心がわからなくなり,とまどったり,怒ったり・・・.当時の私には長女の反抗がとても理不尽なことに思え,最初は心の中で彼女を責めていた.
でもそのうちに,彼女がおかしいのではなく,私自身がおかしいのだと気づくことができた.私は,そのとき初めて,彼女の「声にならない声」を聞ける親になりたいと,本気で,願った.しかし,競争社会の中で生きてきた,私のからだは硬く鈍く,とても子どもの悲しみにそっていけるやわらかさはなかった.
後悔と悲しみと怒りの中を行きつ戻りつしながら,涙を流しながらもとにかく進むしかないという毎日.どんなにかしようと,いろんな会やいろんな本に,それこそ無我夢中でぶつかっていった日々でもあった.
その中で,私は,鳥山敏子のワークショップに出会った.以来,なかなかからだにまで納得させられない私は,遅い学びを続けて,こんな活動をするに至っている.私が今でも鳥山さんの講演会を開いているのは,誰のためでもない,私自身のためというわけだ.
この学びの過程の中で,たくさんの仲間にも出会えた. Sさんのお母さんも,そういう,本音で話せる「同志」の一人だった.
4年前,そういった仲間たちと感情を少しでも共有できる場を持とうと,通信を発信することにしたとき,Sさんのお母さんも寄稿者となってくれた.ところがそのうち,なんと,彼女の長女の,Sさんが寄稿してくれるようになったのだ.当時彼女は高校生.不登校,退学,別な高校への入学...といくつもの波を越えて進んでいたときだ.
彼女は「最近のいろんなこと」と題して,自分の思いをつづったものを送ってくれるようになった.書けないと言ってくるときもあったり,しばらく何もなくてまたふいに始まることもあったけれど, 9編の「そのときどきのSさん」にいつも私は,胸をつかれる思いだった.
彼女は頭のいい,そして,不安定さにもかかわらず「強い」子だと思った.どんなに混乱した状況のときも,いつも「生きる」強さが底に感じられた.
現実に家族が向かい合うとき,傷付け合う,混乱した状態が当然起こってくる.受け入れられなくて,悔しくて,そういうとき,感情は,ばあっと噴出す. Sさんの場合もそうだったのではないかと思うが,でも彼女はそれだけで終わっていない.
自分の気持ちを整理し,眺め,自分に一番ぴったりくることばに置き換え,再度自分の感情を見つめなおすという作業を続けていった.こうやって整理された感情は「表出」でなく,人に伝わる「表現」として,「えと・おーるつうしん」の中に綴られていったのだ.
彼女は,今回また一歩踏み出していく.自分で通信を発信するという決意に,彼女の成長の一区切りを見ることができたような気がする.「えと・おーるつうしん」で彼女の記事が見えなくなるのはさびしいが,若い人が飛び立つ瞬間に立ち会えることは,最高の喜びだ.
NAGIさんへ
4年前,私に「書く」そして「みんなに見てもらう」機会を与えてくださって本当にありがとうございます.このことで,今年また一歩ふみだすことができそうです. S
Sさんへ
はるかに年下のあなたですが,人生を生き抜く「同志」のように思っています.自分の内にある力を信じて,まっすぐ前を向いて踏み出してください. NAGI
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2003
01,02
10:15
新しい年
CATEGORY[未選択]
2003年という年を迎えることができ,おめでとうございます.
この10年,無我夢中で子どもとのこと,夫婦のこと,そして自分自身の生き方について,つまずきながらも,問い直し,問い直し,とにかく歩き続けてきた.
そして,昨年は私にとってひとつの区切りの年だったように思う.
二人の娘は県外でそれぞれ生活し,夫は単身赴任となって2年あまり――あれほど問題だらけのように思えていた日々がいつのまにか,落ち着いた生活に変わっていった.
と同時に,私は「老い」の扉をたたいたようだ.「病気」や「死」にまつわる出来事が重なり,人生がもう一つ別なコースに入っていったと実感した.
自分自身の病気の予兆,悔やみきれない飼い犬との別れ,2ヶ月にわたる腰痛の日々・・・.
今までは11月に入ると年末までの大掃除の計画をたて,毎週末に順番に片付けていたが,今年はあれほど熱心だった掃除もする気がしなかった.腰痛があったせいもあるが,ほとんど掃除らしい掃除もしないままに,とろ~とした年末休暇を過ごしていた.
ところが,暮れも押し詰まって突然叔母の訃報が飛び込んできた.叔母はこの冬体調を崩して入院していたが,見舞いにも来なくていいと言われていたくらいで,楽観視していたのに,あまりにも急な旅立ちだった.
30日,両親,弟とともに瀬戸大橋を渡って,葬儀に参列した.
すっかり気落ちした叔父の様子,呆然として,泣くこともできずにいるいとこたち.
生前,叔母はニコニコといつも笑顔で,よく働く人だった.
叔父は末子だったが,優秀だった兄たちが農業を継がずに都会に出たあと,家に残った.その叔父に嫁いで舅姑の世話をし,第一子を事故で亡くすという不幸も経験したが,ワンマンな叔父によく仕え,農業に従事した一生だった.
葬儀はすんだが,正月休みということで,今も叔母の遺体は焼き場に安置されている.火が入るのは正月明けとのこと.むごいことだといっそう遺族の涙を誘ったが,私は,不平不満を口にすることの少なかった叔母のこと,静かに,安らかに,一人でそのときを待っていると思う.
「死」を身近に経験するとき,人はいっそう強く「生」を意識するようだ.
新しい年,大切に生きていきたい.
大切な人に,思いを伝えられるような,生き方がしたい.
強い思いが湧き起こるなか,新しい年が明けていった.
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2002
12,28
10:16
どんなにしても,私は息子に伝えたい
CATEGORY[未選択]
12月半ば,息子とけんかして,めっちゃ,腹のたつ1週間を過ごした.
友人に話すと,子どもとのけんかをよくもそんなに長く続けられるなあと,あきれられた.ほんまにそうや.
でも,息子が私とは違う生き物だというあきらめにも似た認識が,胸の奥に落ちるのに1週間は,短いくらいだ.
自分の気持ちが伝わらなくても当たり前,そんなに簡単に伝わるものではないし,親の思うとおりの息子であってほしいと思う気持ち自体,ときには「暴力」にもなる.
でも,相手の気持ちを認めることと,私が自分の思いをあきらめずに「伝え続ける」ことは,別な問題だと思う.
私は,生きている限り,子どもたちと,真剣に渡り合っていきたい.
まあとにかく,今回のことについては,自分で整理をつけて「明日から普通になるからね」と宣言して,けんかは終わった.
しかし,このけんか,しっかり怒ったせいか,切り替えがすっきりして自分でも意外な気がしている.心も軽くなった気がした.
ところで,この間竹内敏晴講演会のミーティングがあった.ミーティングというと,いろんなことを話し合って決める場だと思われるかもしれないが,私たちのミーティングは,「しゃべり場」だ.竹内さんのお話を中心に,今思っていることを語り合い,聞きあう会だといっていいだろう.
このときのミーティングでも,私は息子とのけんかを通しての「ことばが伝わらない」体験について,1年前の竹内さんのお話を引き出しながら,語った.
ことばは伝わらないものという出発点に立って,でも,どうにか伝えたいと四苦八苦している自分がいることを語った.
すると,仲間に「1週間もまともに口をきかなかったんでしょ.そりゃすごい,あなたの言いたいことは,充分伝わってるよ」と言われてしまった.
そうかもね.「ことばは,身体が語ることの一部にすぎない」ということを竹内さんも著書の中で言われている.ことばではなく,私の「存在」が伝えたものがあるかもしれない.
コミュニケーションは,ただの「情報伝達」だけではない.その人の生きざま,その人の全存在をかけて伝えたいものもある.
そういう「コミュニケーション」を来年も自分のテーマとしたいな.
「えと・おーる」の活動を通してつながっていく仲間と,会に参加したり,通信やHPを読んだりしてくださっている皆様に,感謝して,2002年の「不思議日記」を閉じたいと思います.
来年も読んでいただければ,そして,ときにはアドバイスや感想をいただければうれしいです.では,よいお年を.
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2002
12,20
10:16
低レベルの喧嘩してます,はあっ
CATEGORY[未選択]
息子と大喧嘩した.
腹が立って,腹が立って・・・.
向こうが謝るまで口なんかきくもんか!と思った.
口でえらそうに言うワリに自分のことはいいかげんだ,というのが私の息子批判である.注意されて逆ギレするところなんか夫そっくりだ,と思うとよけい腹が立つ.
私から見ると息子が悪い!だが,息子の方から見ると私が悪いと思えるわけで,お互い相手が悪いと思っている.とまあ,こういう低レベルの発想を捨てきれないので,こう着状態が続く.
寒い日が続いている.日頃なら寝るまでに湯たんぽ(我が家は20数年これ)を布団に入れておいてやるし,あったかい飲み物を作ってもっていくのだが,腹が立つので,しない.朝も,起こさない.朝ご飯も夕ご飯も用意だけするけど勝手に食べればって感じ.
私が子どもの頃は,そうされるとかえって意地でもキチンと生活し,すべきことをし,親に文句言わせないようにしていた気がするが,息子の場合はそういうこともないようだ.だいたい私だけが「すべきこと」と思っているのだろう.
いつもならけんかしても2日もすれば元に戻るのだが,今回私の怒りは収まらない.「口なんかきいてやるもんか,世話なんかしてやるもんか」状態が続いている.
しかし,この「してやらない」というのは,こっちにとってもちょっとしたストレスだ.朝は朝で起こしたくなるし,ご飯があったかいうちに食べさせたくなるし,湯たんぽも作ってやりたくてやりたくて・・・でも,我慢,我慢.
そうやって日が経つにつれ,何のために「してやらないで我慢している」のかわからなくなってくる.
そのうち,息子が風邪をひいた.自己管理もせずに不規則な生活をしているからだろう.学校を2日休んだ.「フン,根性なしが」と鬼母はさらに怒りを募らせる.
「あきらめる」ことが「受け入れる」第一歩,ということを誰かが考現学に書いていたが,なぜか,息子のことについては「あきらめ」が悪い.追い詰めて潰れるようならそれも仕方ない,くらいに思っている.
こういうところ,私っていつまでたっても「進歩」がないなあ.息子も息子なら,母親も母親だ.
喧嘩の意味もなくなって意地だけが今の状態を続けさせている.
そして・・・自分の愚かさばかりが意識されてくる.
ため息一つ・・・はあっ~,怒りもそろそろ終わりかな.
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2002
12,14
10:16
ことばに魂を「つかまれた」
CATEGORY[未選択]
先週末,新幹線の中,私は,竹内敏晴著「ことばとからだの戦後史」を読んでいた.
この本は,前回の講演会のときに友人が「すごい本だ!」と言っていたものだ.以来気にはなっていたが,「○○史」という固いタイトルに手が出ないままだった.
今回出張に出るのに,文庫本サイズがちょうどいいので,バッグに入れてきていた.
それがページをめくるごとに何か強い力でぐいっとつかまれるような感覚がわき起こってきた.なんなんだろう・・・.
これまで,もっとわかりやすく,もっと論理的で,もっと流麗に書かれた文章は経験済だ.・・・これは,なんていうか,竹内さんの身のうちからしぼり出されたかのようなことばだ.もっと直接的で,生々しく,ちからに充ちていた.
これが竹内さんなのか,と思った.
これまで講演会仲間のUさんがなぜあんなに「からだ」と「ことば」を強調するのか今ひとつ腑に落ちなかったが,そのとき少しわかったような気がした.
この本は,気持ちよい感動を与えてくれるという類のものではない.重く,じかに突きつけられるような感覚があって,1章読んでは,閉じて,からだを休ませ,また次の1章を読むという読み方でなければ,読み続けることができなかった.
この感覚がいったい何なのか,ことばにするにはもう少し時間が必要なようだ.
さらに,読んでいくうちに次第に私のからだが動きたがり,表現したがってくるのを感じた.
もちろん,この歳まで,舞台に立ちたいなんて思ったことはない.書くことや歌うことは好きだが,人前で動きを見せるという,そんな欲求をこれまで持ったことはない.
それが,このとき,奥から湧き上がってくるものをからだで表現してみたいという情動が湧いたのだ.
なんとも不思議な,私の読後感だった.
ところで,1年前,やはり文庫本だからという理由で出張に持ってきた,星野道夫著の「アラスカ風のような物語」との出会いを思い出す.
このとき私は,身体の不調をかかえていたので,星野さんの生き方と,アラスカの人と自然とにびんびん感応してしまい,東京に着くまで涙を流しっぱなしだった.
2冊の本は,魂にじかに触れる「ことば」を持っていた・・・といえるのかな.
私のからだが,来年1月の竹内敏晴講演会に向けて,少しずつ動いている感触がある.
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