NAGIの不思議日記
日々の出来事や出会いは「?」の連続。 書きとめることで、感じた「?」を深めたい。
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2003
03,30
09:56
愚かなままで
CATEGORY[未選択]
子どもとの葛藤の日々が綴られた考現学を読むと,私のからだはぴしぴしと反応する.
そういうとき,子育てがほぼ終盤にきているのに,なお,子供たちにとって春風のような母親ではなかったことに対する自責の念が,生々しく,身のうちに,在ることを自覚する.
先日も友人からのメール考現学を読んでいて,「暗い階段に座った次女の姿」が,痛みを伴って浮かび上がってきた.
10年余り前,私が,自分のおかしさに気づき,長女との関係を再構築することにエネルギーを傾けていたとき,次女は小5だった.揺れ動く葛藤の中心には長女がいて,その当時次女はやや傍観者的な立場にいたように思う.しかし,次女は次女なりに混乱していたのだ.
のちに彼女はその頃の私の急激な変化を指して「ある日突然お母さんが別人になった」と表現した.一心不乱だった私には,次女の混乱をケアするゆとりがなかった.
私は全精力を長女に対応することに使っていた.そして,とにもかくにも,築いては私の配慮のなさでまた壊したりしながら,長女との関係は,少しずつ少しずつつながり始めた.
その長女が高校生に入学してやや落ち着いた頃,今度は次女が「反抗期」に入った.長女の場合は,口数が少なくなり,自分を閉じていったが,次女のときは,激しい反発となって表出した.
姉や弟とケンカし,父親に反抗し,それはものすごいエネルギーだった.長女が県外の大学に進学して家を出てからも,その嵐は収まらなかった.
私にとっては,長女のとき以来何年にもわたる長い試練.夫は,指示命令はするが,自ら関係の中に入っていこうとはしなかった.愚かな私は子どもたちの噴出するエネルギーの中に一緒になって右往左往していた.
もうへとへとになっていた.泣きたいよ,投げ出したいよ―今だったら適当に気を抜くことがかえってまわりにとってもいい結果を生むとわかる.私の「がんばり」が子どもを追い詰めていたこともわかる.
でも,当時は「私がどうにかしなければ,子どもたちがかわいそう.私が―・・・」と思い込んで,必死だった.すべてをかかえこんで,でも,仕事も家事も手抜きせず,毎日毎日必死で切り盛りしていった.
次女がなぜ反抗するのか,その頃のいっぱいいっぱいだった私は,気づいてやれてなかった.
ある土曜日,次女が本屋に行きたいと言った.頭の中でスケジュール表をめくる.段取りを決める.息子の予定にも差し障りない.私の時間もとれそう.でも夕食の支度までには帰らなければ.そうだ,次女を本屋の近くで降ろして,ついでに私はずっと行きたくて行けなかった健康診断カウンセリングにも行ける!ざっと時間を見積もる.うん,行ける.
ところが出発でつまずいてしまった.もう原因は覚えていないが,次女がぐずぐずして出発が遅れ,車の中で親子喧嘩が始まった.
当然だ.私は私のタイムテーブルを作っていて,それに次女を合わせようとしていたのだから.次女は,「ついで」とか「忙しい中やりくりして行ってやっているのに」という,大人の都合をなんとなく感じ取っていたのだろう.これでは彼女にとって,もう本屋へ行くことは重荷でしかなくなる.
険悪な雰囲気になり,私の中で怒りが生まれた.次女にとっても本屋なんかどうでもよくなっていたのではないか.それでも私は目前の子どもの心の状態よりも,決めたことは実行するという「目的遂行」パタンに動かされていた.ていねいに相手に合わせていくというゆとりもなかった.私は,次女の気持ちにお構いなしに,健康診断カウンセリングの建物を教え,待ち合わせの時間を約束した.
健康カウンセリングはおもしろかった.ところが,約束の時間が近くなって,外で音がするのに気がついた.次女だ.もう来て待っている.音は何回もして,あたかも「早く終われ」とせかしているように思えた.かあっと頭に血がのぼり,私はいらいらしはじめ,そうそうに切り上げ,料金を払ってそそくさと外にでた.
次女は暗い階段に下を向いて座っていた.
黙って階段をおり,車に乗った.帰りの車の中でどんな会話をかわしたか,もう覚えていない.しかし,きっと,次女に対して腹立たしい気持ちを抑えきれてはなかったろう.
あのときは自分の感情に翻弄されて見えなかった.
黙って下を向いて座っていた次女の真の姿が見えていなかった.
何もかも自分でしょいこむことはない,親だって大変なんだから,という人は多い.私だってほっとする時間が必要なんだから,あのときあれが自分の正直な状態だったのだから,とも思う.しかし,「頭」がどんなに説明しようが「からだ」がつらい.思い出すと,涙が出てくる.
そして,思った.
子どもが「わがまま」を言いたい状態に,寄り添おう,子どもが望めば子どものためだけに動こう,「ついでに」は作らない.私は子どもの「わがまま」を受け入れよう,できるかどうか,わからないが,100%受け入れよう.「あなたのことだけを見ている」と思えるように.
こういう思いはまた別な角度からみると,批判・論評の対象にもなるだろう.私自身いつも子どものわがままを受け入れようという動きをしているわけではない.
でも,あの,暗い階段に座っていた次女の姿を思い浮かべると,いとおしさで,愚かな母としての私が,「私のすべて」になってしまうのだ.
何年も前のこと,でも私の中で生々しく残っている思い・・・.メール考現学によると,友人は仲間の支えで子どもとの葛藤の場面を,共通の学びの場に変えることができたようだ.
――私は,物狂おしくも愚かな母親でしかない.
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2003
03,21
09:52
小さい頃には「神様」がいた
CATEGORY[未選択]
久しぶりに,ユーミン(松任谷由美)のCDを聴いていると,「やさしさに包まれたなら」という,かつて大ヒットした曲が流れてきた.
♪ 小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた・・・
聴いているうちに,これって,以前には気づかなかったけど,私自身,いや多分すべての人に,経験のあることなんじゃないかな・・・と思えてきた.
子どもの頃って,ユーミンの歌にあるように「神様がいた」よね.
「神様」は,子どもの私に,大人には見えないすばらしいものを見せてくれたし,困ったときには助けてもくれた.
母に叱られてとっても悲しかったとき,裏の麦畑にもぐりこんでいた.みどりの麦の中にいると,鳥や虫が遊びにきてくれた.川に入ると,川の生き物が遊びにきてくれた.悲しみはいつの間にか薄れ,私はいつも「一人」ではなかった.
何かを欲しいとか,こんなことが起こって欲しいとか思うと(たいていはとてもつつましいものだったけど)たいていかなえられた.
私にとって幼い時の記憶の中では,なぜか,困ったこと,つらいことを解決する助けをしてくれたのは,大人達ではなく,「神様」だった.
それに・・・
小学校にあがる前から,何故か,私は「言霊」信仰を持っていた.「言霊」ということばを知ったのはもちろん大きくなってからだったけれど,感情が激して思わず,何か忌まわしいことば,憎しみのことばを口にしたときは,必ず「神様,今のことばは本心からではありません.○○さんが幸福になりますように」と打ち消していた.
誰に教えられたわけでもない.
道に小動物が死んでいるのを見たり,お地蔵様があったりすると手を合わせてでないと通れなかった.
誰に教えられたわけでもない.
戦争で手足を失った人や,貧しい人が街角に立って物乞いをしているのをみると,お小遣いのほとんどを出していた・・・.年末人ごみの中でも救世軍の音楽(若い世代は知らないと思うが)を聞くと,じっとしていられなかった.200円しかない小遣いの150円を投げ入れていた・・・.
ちなみに私の家は核家族で,典型的な合理主義,能力主義で,両親に信心なんかなかった.
「神さま」がそばにいて,教えてくれたのだとしか,考えられない・・・.
でもこの「神様」は,成長するにつれ,いつの間にか,いなくなった.
知識を獲得し,競争社会の中で生きていくうちに,私を助けるのは「私自身」になった.子どものときに比べるとはるかに多くのお金を手にするようになったが,寄付する割合はうーんと減った.
シュタイナーの話に次のようなものがある.
人の周期は7年で,7年ごとに大きな節目となる出来事が起こりやすい.特に7×3(21)の年に意味がある.生まれて21までは,守護天使が肩の上の方にいて,見守ってくれている.それが,21歳のころ(丁度自立を果たす年頃だ)天使は離れていく――自分の人生を自分の力で歩んでごらん,というわけだ.そして,守護天使は次の21年の節目である42歳の頃再び降りてきて,自分らしく生きて来れた?あなたの人生,今のままでいいの?と問うらしい.そこで,人は再び自分の人生を問い直すチャンスを与えられる・・・.
これを知って,やはり小さいときには「神様」がいたのだと思った.40歳を過ぎて,またその神様は,私のところに戻ってこようとしたということも体験から,分かる.
でも,今,その「神様」は私のところにいてくれているのか,どうだろうか.
♪ やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ
ユーミンの歌が静かに終わった.
まわりの全ての意味をメッセージとして受け取れる,智恵が今の私にあるのか,と自らに問うと・・・答えられない.
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2003
03,13
09:51
春[3]
CATEGORY[未選択]
私にとって「春」を感じるものは他にもある.
くしゃみと鼻水――そう,花粉アレルギー.初めてこの兆候が現れたのは15年前のこと.始めは風邪かと思っていた.これが「花粉症」によるものだと判るまで3年くらいかかった.
それから毎年毎年症状は悪化していった. 3月から5月は苦しみの季節となった.一晩にティッシュ1箱を使い切る「鼻水垂れ流し状態」が続き,マスクなしには一歩たりとも外に出られなかった.最後には中耳炎にもなって鼓膜切開も経験する.
かといって薬を飲むと猛烈な眠気が襲ってきて,普通の生活が送れない.どうしようもない,つらい日々,ひたすら春が過ぎるのを待つだけだった.
その苦しい状態から脱したのは,7年前.
そのころ,こどもとの関係で悩んでいた私は,手当たり次第にいろんな講座に参加していた.あるとき「潜在脳力開発法」の連続講座にこどもを連れて参加した.これはいろんな解釈があるが,一つには潜在意識(無意識)を利用することによって,自分をしばっているマイナスのイメージを解き放つというものだった.
最初怪しく思えたのだが,受講してみると,理にかなった説明がなされ,心理学の講義のようだった.参加した長女に役に立ったのかどうかはわからないが,次に,次女も受けた.これは「姉が参加したので自分も」というノリだった.こうやって,子どもが参加するたびに付いていくわけだから,結果的に私の受講回数が一番多くなった.
この講座には,自分の思い込みを変えたり,自分の夢を実現させたりするために,いろんな手法の訓練があるのだが,その中に,イメージの力を利用するという項目があった.私は,試しに,ある年,これを花粉症対策に使ってみることにした.
リラックスして,鼻から息を出すところをイメージする.息をゆっくりと出していくと,私の鼻腔にある花粉が外へと吐き出されていく.――つまり,自分に暗示をかけたわけだ.「温かく湿った自分の鼻息をゆっくりと吐き出すごとに,花粉が出て行く」と.
(こう書くと簡単そうだが,実際にはトレーニングが必要)
イメージトレーニングしたあと,一時的に花粉症がひどくなったが(リバウンドの一つかな),翌年の春,恐怖の季節がやってきても,症状が出ない!??? 結局その年,花粉症で悩まされることはなかった.そうなるとこのイメージテクニックに対する「確信」が生まれる.占めたもんだ.
以後,2月の終わり,TVニュースが「花粉の季節」を告げると,花粉症は治ったわけではないから,一時的に症状が出る(血液検査の結果は依然,強陽性+++).でも,以前のように不安にはかられない.大丈夫と確信して,ゆっくりとイメージ通りの息をする――そうすると,次の日には本当に「大丈夫」になっているから不思議.
なーんか単純だけど,裏返せば,こころのしばりが病状をよけいひどくするということを体験したわけだ.
こうやって私は花粉症とまあまあよいお付き合いをして,徐々に冬のからだを緩めていきながら春を過ごしている.
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2003
03,06
09:50
春[2]
CATEGORY[未選択]
3月に入ると,高校を皮切りに大学,小学校,中学校と卒業式が続く.
40年近く前の自分自身の小学校卒業式に始まって,昨年の息子の中学校卒業式まで,長年,たくさんの卒業式を経験してきた.その結果,私が得たのは「式って生徒のためにあるものではなく『式』のために存在しているもの」ということ.
特に,校長式辞とか来賓挨拶とかは,最悪.式辞の内容もスタイルも十年一日,形式的な退屈なものだという印象だけがある.
無難な教訓めいた内容,始まりの「梅香るこの良き日に,・・・様はじめ来賓多数ご臨席のもと云々かんぬん」の出だしも,何十年踏襲してんだろって感じ.「梅」もカビはえてるよ.
本質的に「アウトロー」の私は,「意味のないことばを連ねるなぁ! 自分がさもえらそうに説教垂れるんじゃねえ!」と心の中でいささか下品な悪態をつきながら,退屈な式辞をひたすら耐えてやり過ごす・・・.
今年,岡山市内の県立高校の卒業式で,実際に起こったことを紹介します.
岡山県有数の進学校として,校長も実力者しか就任できないという,S高校の卒業式でのこと.
「卒業証書授与・・・卒業生起立」(卒業生は全員起立する)
代表がしずしずと壇上にあがり,校長の前に立つ.
そして,証書をうやうやしく貰う・・・はずなのだが,代表生徒は壇上でじっと立ったまま.校長もじっと立ったまま.
会場の在校生や保護者は何が起こったのだろう・・・と不審に思うが,壇上の両者は向かい合ったままフリーズ.
そのうち,何人かの先生方の動きから,卒業証書がない,ことに気づく.
・・・10分後教員室から持ってこられてやっと証書の授与が終わった.
その間「時間よ,止まれ」状態の,校長,生徒代表,立ったままの卒業生,だったそうだ.
これってなんかおかしくない?
肝心の卒業証書を準備し忘れたお粗末さにもあきれるけど・・・.
それより,校長,こういうときこそ,なんかジョークの一つでも言えよ!
事情の説明とかしろよなー!
「さてみなさん,卒業証書をお渡ししようとしているのですが,名残が惜しくてまだぐずぐずしているようです.今連れてまいりますからしばらくお待ちください」とか「人生何が起こるかわからないという見本みたいで,みなさんの門出に,誠に警鐘的な出来事ですね」とか「代表の生徒君とこんなに長く見詰め合うのは初めてのことです・・・」とか.
それが品位を下げるのであれば,最低限,会場の人たちに今何が起こっているのかを伝えることくらいしてもいいのではないかと思うけど.
それとも黙ってじっと立っていることで「何か」を伝えようとしたの? 少なくとも保護者席には「なんでこうなの?」という不審の空気が生まれたらしいが.
まあとにかく,フリーズしたまま10分がたって,証書が届けられると,何事もなかったかのように式が再開されて,校長は用意してきた式辞を読み上げたのだそうだ.
あー! やっぱり,私,式ってキライだあ!
血の通った式ってできないの?
PTAとして息子の中学校の卒業式でそれを試み,計画段階で学校側に止められた経験をもつ私としては,まず生徒自身に「おかしい」と感じて欲しい.
(もちろん生徒がそれでいいのなら何もオバサンが熱くなる必要はないのだが)
そして,ハプニングに際して,フリーズしたままの,そんな教員なんて(恥を知れー!)
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2003
02,28
09:49
春[1]
CATEGORY[未選択]
2月も今日で終わり.
私の職場は小高い丘の上にある.下の駐車場から建物まで続く坂の両側にずっと梅の木が植えられている.今の季節,梅は満開に近い.
この梅の花を眺めながら歩いて上るのが,このところの朝の楽しみとなっている.
梅はどうも白梅の方が開花が早いようだ.白く咲き誇る梅の花も美しいが,紅梅の,ほんのり赤い小さなつぼみが枝にびっしりとついているのも,愛らしい.
桜と違って梅の花期は長く,こうやって毎日梅の花を見上げて歩いているうちに,いつの間にか空の色が鮮やかになっていることに気づく.
そうするともう春なのだ.
今の職場に勤めて20数年になる.
梅の木に目を留めるようになったのは,ここ2~3年のことだ.
それまでは,いつ梅の花が咲いたのかも,いつ実がついたのかも知らずにいた.
家庭と仕事の両立に汲々としていた年月,子どもたちとの葛藤でいっぱいいっぱいだった日々――梅の木があることさえ意識になかった.
今,足をとめて梅の枝を見上げるゆとりがある.
走ってきた日々は少しずつ遠ざかり,私の歩みもゆっくりとしてきた.こうやってだんだんと,老いていくのだろう.自然をしみじみと感じられるゆるやかさがあるのなら,老いもまんざらではない.
こち(東風)吹かば においおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
有名な,菅原道真の歌だ.この梅には,九州へ左遷された道真を待っていたという逸話もある.
梅だからこその歌だと思う.散り急ぐ桜の花には,こんなゆったりとしたイメージはない.
梅の花は,冬の終わりから春にかけて1ヶ月近く咲いている.
職場の梅もここに植えられてから30年,ゆっくりと春を待って,そこにあり続けてきた.
なんだか,私のことも「待っていて」くれたのだと,いう気がしてならない.
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